だいたい、感じてなんぼ

人生、自分の感じたものがすべて。あらがわず、しなやかに。

【これからママになる人、ママな人。そしてパパへ。】

私はもったいないことに、人生のほとんどを、知らぬうちに被害者として生きてしまってました。

 

『自分が幸せかどうかは、他人次第』という負のループは、実は自分自身が作ったものなんだと気付くのに、随分と時間がかかってしまった。そして、もしかしたら今でも尚、その負のループの中にいる人もいるかもしれません。負のループの中に自分がいるということに、まだ気付いていない人も。

 

私が血眼でこの負のループから必ず抜け出すと決心したその理由は、自分がこのループを止めないと、私はいつか迎えるであろう我が子に、きっと同じ思いをさせてしまうと思ったからです。

 

 

きっと誰もが、「こんな親にはならない。」「この教えはよかった。」「こんなところを尊敬している。」「自分の子にこんな風にはなってほしくない。」「こんな人間になってほしい。」と、親子関係に対して、いろんなことを思っていると思います。

 

希望も不安も、きっとたくさん抱えてる。

 

 

私も暗い道の道中に、たくさんの母の嫌なところ、マネしたいこと、マネはしたくないところ、たくさんありました。その全部を否定していた時期もあります。

 

いま目の前にいる愛する自分の子が、もしこれから何十年先までも自分で自分を苦しめる人生を、辛い人生を送るとしたら、きっとゾッとすると思います。そしてなにより、そんなこと誰一人として望んではいないと思います。

 

これだけ遠回りした私が、これからママになる人、ママな人に1つだけ伝えたいこと。そして、もちろんパパにも。

 

「すべては自分次第」「人は幸せに気付くために生きている」
人はシンプルな言葉ほど、こんな簡単なことほど、理解するのが難しいです。
そしてその意味をちゃんと教えてあげるのも、きっと難しい。

 

もし、あなたが自分の子供に、「心から幸せな人生を歩んで欲しい。」と願うなら。もし、「自分の幸せを、自分で掴める人になってほしい。」と願うなら。あなたが1つだけできることがあります。

 

 

 

 

それは、親のあなたが、まず『自分で自分を幸せにできるあなた』であってください。

 

じぶんの幸せに、妥協しないでください。

 

親としてではなく、あなた個人としても。

 

たとえどんなに恵まれていようとも、あなた一個人として満たされないあなたの心が、子供にとって一番の悲しみであり、辛いこと。

 

あなたの満たされていない心のまま「子供がいれば幸せ。」だなんて、そんな子供に重荷を乗せないでください。

 

子供に幸せに生きて欲しいなら、自分の幸せを我慢するんじゃなくて、一緒に幸せになる道を、諦めずに探してください。

 

あなたがかけている自分自身への制限は、そのまま子供が鏡のように受け継いで、あなたのその思い込みをそのままコピーして目の前で見せてくれます。

 

なんの制限のない世界からやってきた子供に、あなた自らが抱えた恐れや不安を、どうか植えつけないで。

 

 

 

 

でもね、もし、うまくできなくても大丈夫。

 

子供は、そんなあなたを救いに来たんだと思うから。

 

だから、あなたのところを選んできたんだと思うから。

 

 

29歳の私がいうのもなんですがw

 

子供と一緒に、幸せな未来を。

世界の平和は、あなたから始まるよ。

 

許した瞬間に、幸せになれた。

おかんが車を買ってからしばらく経った今も、喜びの余韻に浸っております(*^^*)

焦りも、不安も、悲しみもなく、本当にただただ空間に浮かんでいるような、心の穏やかさ。満たされている感覚。

 

だけど「あんたも幸せになっていいよ」って、別におかんはそんなこと一言も言葉にしてないから、結局は自分で勝手に許しただけなんだけど。

 

結局「幸せ」は自分の「外」にはなくて、「自分の中」にあるものなんだってことがわかりました。

 

本当に、二十数年間、この解放感をずっとずっと、ずーっと待ち望んでいた気がします。

 

私の中の本当の私が「しあわせになりたい!」って言っても、私は「あかん!!」「なりたいの!」「絶ッ対ダメッ!!」と、何度もなんども、ひとり押し問答。そして最後は純粋な心の声に蓋をしてきました。

 

悲しくもないのに溢れてくる涙も、生理前に感情的になった時に溢れてくる涙も、押し込まれて悲しんでいる本当の私の涙だったんだ。

 

「どうやったら幸せになれるの?」と、何年もかけて脳みそ使ってショート寸前になるまで考えてきましたが出てきた答えはどれも「脳みそで考えた結果」でしかなくて、試しても試しても満たされず、それが考えることの限界値でもありました。

 

私は、ずっとずっと、外に原因があって、外に幸せがあると思って手を伸ばしていたから。

 

幸せになるには、心の声を聞いてあげること。
ただそれでけで、こんなにも心は満たされる。
こんなに近くに、私のほしいものがあった。

 

全部ぜんぶ、自分次第なんだ。

 

それをもっと、たくさんの人に知ってもらいたい。

 

みんなに分けたい。

 

あー、しあわせ。笑

おかんが自分自身に買った、人生で1番大きいお買物

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今日、おかんがワーゲン買いました!

 

60歳にして、初めての外車!たくさん試乗して、はじめはトヨタのAQUAか、MAZDADEMIOかのコスパ重視で悩んでいたけど、なんだかカタログ見てるおかんがテンション上がっておらず、全然ワクワクしていなかったので『(こりゃあかん…!( ゚д゚))せっかくだから、外車も試乗しまくろうよ!!』と全く視野に入れてなかった外車も提案して、やっと目に止まったのがフォルクスワーゲン

 

おかんはワーゲンのポロに乗った途端に目を輝かせて、「いい!!!いいわこれ…!!(≧∇≦)」と、テンションぶち上がり!それでも最初は、「でも他の候補に比べて割高だし…」「ハイオク仕様だし…」「維持費も大変だし…」「外車は故障が多いみたいだし…」ってネガティブ情報を掻き集めておりました。たしかに通勤でしか使わないのに本当にコスパの悪い買い物で、予算もめっちゃオーバーしてるし。

 

でも、おかんと一緒にドライブしてる間に走行しているワーゲンを見つける度、助手席のおかんは窓に張り付いて『あ!ワーゲンだ!あそこにもワーゲンだっ!』と子供のようにはしゃいでいました(めっちゃ可愛かった笑)。気付けば勝手にネガティブポイントをどんどんプラスに転換していき、最終的には「買ってもいいかな?いいよね?」と聞かれ「もちろん!!」と私からの最後の一撃。

 

買いに行く直前まで「子供に掛けるお金は全然惜しくないのに、自分への買い物となると本当に迷うわぁ。」と言ってました。家族で使うものとかは惜しみないのに、「買ったらいいじゃん?」って言っても自分の物はずっと我慢してたもんね。

 

かつては、「不幸だ〜不幸だ〜」と、人生の被害者を演じていたおかんが、今日、自分のために、自分のお金で買いました(しかも、ニコニコ現金一括払い…!!超クール!!!)。 

 

 

でもね、おかんよ。あなたが1番高いワーゲンを買ったことが私にとってこんなにも嬉しいのは、「私もついでにワーゲンに乗れるから」じゃないよ(笑)


私が涙が出るほど、このおかんの買い物が嬉しいのは、『あなたが心底欲しいものに、妥協せずに手を伸ばしたから』。それは、「あんたも幸せになっていいんだよ。」っていう母からのメッセージのように感じ、私から溢れる涙は「あなたが勝ち取る幸せは、あなたから溢れる幸せは、こんなにも人を幸せにする力があるんだよ。」っていう母への気持ちが溢れたものでした。

 

 

母と娘とは、本当に不思議なもの。
わたしは、「おかんより幸せになってはいけない。」ってどこかで思ってたんだね。これでまた、知らないうちに自分でかけた呪縛が一つ、解けたみたい。

 

 

私も自分の幸せに、自分の欲しいものに、しっかり手を伸ばしていく。
私も、おかんに続く!!(車は買わないよ。)

【なんでキレイじゃなくちゃいけないの?】の答え

以前ブログにも書きましたが、、

 

 

tyouwa-san.hateblo.jp

 

 

わたしは、外見を褒められるのが、ずっと怖かった。(あ、そもそも褒めてないよって人、とっても自意識過剰ですみません。。笑)

褒められると、「キレイじゃなきゃ自分は価値がない」って思うスイッチが、どうしても押されてしまうから。


褒められると、「お前の魅力は外見だけだよ」って言われてるみたいで、怖かった。
一方で、「自分のためにキレイでいればいいじゃん」って思うけど、「自分のためにキレイでいる必要あるか?」って思ったし。でも、好きな人の前では、「キレイ」な自分でいたいって思う。

 

自分にとっての外見の優先順位が、あれから今日に至るまで、ファッションもスキンケアも化粧も、どのくらい力を入れていいのか全然わからなくなってました。

 

(そもそもそう思い込んでしまったのも、幼少期に容姿しか褒められたことがなかったから、それにすがりついただけだったんだけど。今思えば、なんて純粋なんだ・・・!)

 

今日やっと紐解けたんだけど、そもそもわたしの中での「キレイ」の定義は「飾り立てた自分」のことだった。見た目を褒められると怖いのは、飾り立てた自分を評価されたとき、中身の、素の自分を受け入れてもらえるかどうかわからなくなるから。

 

これは本当の自分じゃないのに、評価してもらって、それが自分で嘘で取り繕ってるような気がして、見た目と中身のギャップを相手に感じられるのが、落胆されるのが、もーーーーんのすごく怖かった。「キレイ」の意味を、履き違えてたんだ。

 

でも、今なら思う。

 

わたしは腹の底から笑ってる自分の顔が、その自分の姿が、一番美しいと思う。
自分の内側の美しさが出るのは、腹のそこから笑っている自分の姿。
その姿見て、「キレイ」「美しい」と言ってくれる人は、きっと、ちゃんと、わたしを丸ごと愛してくれる。

 

腹のそこから笑える、しなやかな表情筋(!)と、「たのしい!」「うれしい!」「おもしろい!」っていう素直な気持ちさえあれば、飾らなくても、私はいつも自分のために、「キレイ」でいられる。

 

それ以上の輝きは、どうやら私にはないみたい。

 

 

 

 

 

 

 

『なんでキレイじゃなくちゃいけないの?』の答え。
そもそもキレイは、「飾り立てる」じゃなくて、「輝いてる」ってこと。

そして、もしキレイでいなきゃいけない理由があるのなら、きっとそれが私の、本当の姿だから。

 

 

 

今日までがんばってた自分に、超絶お疲れさまでした。

はい、脱皮。

【恥ずかしい皮たち☆夏の出来事シリーズ④】約2,000㎞の北海道キャンピングカーの旅に行ってきた。

 

 

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いかにクーラーつけずに、猛暑に爽やかに勝ち続けるかが東京での夏の過ごし方だったのに、札幌では自然の風が快適すぎて扇風機すらつけずに終わりそう・・・。と、思っていた矢先に台風10号の影響で秋まっしぐらだった札幌は、再度30度まで上昇。私はそれまで一度も使うことがなかった扇風機を押入れから引きずり出し、迫り来る台風10号に『警戒せよ!警戒せよ!』としきりに言うアナウンサーの声をスルーして、暑い暑いと言いながらスイカを食べまくる。そんな残暑を満喫するのでありました。

 

 

これも、夏らしくていいよね。

 

 

 

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8月中旬、私は東京の楽しいこと大好きな、フットワークがたんぽぽの綿毛くらい軽い友達たち含め、全6人で『北海道行きたいところを巡りまくるの旅』に行ってまいりました。

 

子どもの頃に憧れたキャンピングカー。中を覗いてワクワク。旅に嬉しい隠れ機能にワクワク。コンパクトな空間ならではの巧みな収納スペースにワクワク(?)。

 

そしてなにも決めずにその場のノリと気分で行き先を決めるという、スゴロクで行き先決めるのとあまり変わらないくらいな高めのドキドキ感を全身で感じながら、3泊4日で北海道を駆け巡るのでした。その結果まわったルートがこちら。(メンバーの一人が作ってくれました・・・!ありがとう!!)

 

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さらに詳しいルートと立ち寄りポイントはこちらからどうぞ!

夏休みにキャンピングカーで北海道を回った軌跡をgoogleMAPにプロットしてみた - It was impossible until yesterday

 

約2000㎞を移動したってことは、時速100㎞出したとしても20時間は運転するってこと。キャンピングカーの車体は思ったよりも大きく、アクセルベタ踏みでも80㎞が限界でした。夜な夜な運転してくれるたくましいメンバーを他所に、免許を持ってる中でもっとも体力と集中力と運転経験の少ない「こ、これが6人分の人生のハンドルかぁ・・・!!」と、ビビりな私は富良野から帯広までの約150㎞程度しか貢献できませんでした。すいません。

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(ケンとメリーの木)

 

北海道のスケールを把握していないメンバーに私は、「え、そんなの間に合わないよ!」とか言ってしまったり(稚内から帯広の勝美花火に向かう途中とか)、行き着く喜びより、そこへ向かう道中のエンジョイな時間より、最初はリスクが頭を占拠していた私でしたが、間に合った途端に「あぁ、私はなんてつまんな時間の過ごし方をしてたんだ」と反省。単純に間に合わなかった時の空気が怖くてしょうがなかっただけでした。そこからは「全部どうにかなるわスイッチ」に転換され、目の輝きを取り戻したのでした(たぶん)。

 

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(霧の摩周湖。さすが名前だけあって、何も見えません。)

 

そのあとも、帯広から外れた田舎町でガソリンが切れ、目的地にたどり着かず深夜山道で立ち往生かも、、とか、あまりに混みすぎて女体天国化した温泉のお湯が出ないとか、キャンピングカーが高速道路で風に煽られて橋から落ちそうとか、手に汗握る緊張感やたくさんの楽しいハプニングに見舞われました。

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(美瑛のひまわり)

 

 

それでも、どんなピンチがやってこようとも、「行きたい!」「逢いたい!」っていう気持ちさえあれば、そこにたどり着けるんだなぁ、と思わせてくれる素敵な旅でした。すごい燃費悪かったのに、エンプティマーク点灯してから20㎞くらい走ったもんね。

 

 

 

あの素敵な時間はみんなで作ったんだなぁ。としみじみ。

本当にお友達ってすばらしいです。

 

 

また、北海道に21年住んでいたにも関わらず、学生の時に上京してしまい、欲望の町ススキノすら案内できない私は、北海道についてなんて知ってるわけがなかった。そして、北海道に帰ってきてよかったなって、更に深く深く思えたのでした。

 

 

 

夏よ、ありがとう。

 

 

 

 

夏の出来事シリーズはこれで終わりです。

明日からは、通常営業に戻ります。

引き続き、恥ずかしい皮たちをお楽しみくださいませ。

 

 

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(知床、オロンコ岩の上から、寝巻きに近い格好で)

【恥ずかしい皮たち☆夏の出来事シリーズ③】じいちゃんが、日本国天皇から『瑞宝双光章』をもらった。

天皇から表彰される」ってのがピンとこないのは、私だけか。

 

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(とってもありがたい表彰状なのに、まだ額に入れてない手持ちの状態で撮ったので、よれてる…)

 

 

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外箱の高級感。

 

 

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これが、突如お国の遣いの方がおじいちゃんに届けてくれた、「瑞宝双光章」。

 

 

ま、まぶしい・・・。

 

 

 

そもそも、瑞宝双光章とはなんぞ? 

ウィキペディアによると、

瑞宝章は、「国家又ハ公共ニ対シ積年ノ功労アル者」に授与すると定められ(勲章制定ノ件3条1項)、具体的には「国及び地方公共団体の公務」または「公共的な業務」に長年にわたり従事して功労を積み重ね、成績を挙げた者を表彰する場合に授与される(「勲章の授与基準」[2])。 

瑞宝章 - Wikipedia 参照

その中でも、瑞宝大綬章・瑞宝重光章・瑞宝中綬章瑞宝小綬章瑞宝双光章瑞宝単光章の六種があるみたいで。ただ単純にお国に従事しただけではもらえないみたいです。

  

とにかく、我が家にとっては、親戚含め、おじいちゃんと血を分けた我が一族にとっては、この夏一のビッグニュースなわけで。

 

 

 

じいちゃんは、生涯を警察官として従事してきました。

みんながみんなもらえるわけじゃもちろんないみたいなんだけど、

じいちゃんは一体、どんな業績があるのかな。

 

じいちゃんの家の机の中には、本物の手錠があって、

小さい時に触らせてくれたっけ。

『物は大切に扱わなきゃダメだ。』

『親に心配かけるなよ。』

って言ってたなぁ。

じいちゃんに教えてもらったことは、シンプルだけど私の脳ミソに深く刻みこまれたこの2つ。

 

 

もし、まだ記憶がちゃんとあったら、この賞をもらったじいちゃんはなんて言ったかな。

Seven Starのタバコと大好きなウィスキー飲みながら

『すげえだろ』なのか

『こんなもんたいしたことねえよ』なのか

具体的な関わったすごい事件のことを、しんみりと話してくれるのか。

 

 

 

 

 

きっと、記憶がサラサラと流れてしまった今のじいちゃんは、この表彰よりも、美味しいおまんじゅうの方がうれしいんだろうな。

でも、いつかこの肉体から離れた時に、きっと改めてこの表彰を受け取るんだろうな。

ザンネンながら、私はその場には立ち会えないけれど。

 

 

 

じいちゃん、やったな!おめでとう。

 

自慢のおじいちゃんでいてくれて、ありがとう。

 

大好きだよ!

 

【恥ずかしい皮たち☆夏の出来事シリーズ②】花火だけが一瞬ってわけじゃなかった。

今年の夏は、去年とは全く違う哀愁漂うロンリーサマーになるんだろうなぁ、寂しいなぁって思ってた。立秋を迎えた8月の北海道はいま、カレンダー通り、着々と秋に向かっている。風の匂いも、葉っぱの色も、鈴虫やトンボだって、北海道の自然はいつも全力で「秋だよ!」って教えてくれる。

 

そんな自然からの声に「もう秋かよっ!」って嘆くような、今年の夏を後悔するような、やり残したことはたぶんありません。

 

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 花火だけが一瞬ってわけじゃなかった。

 

 

8月のはじめ、毎年楽しみにしている江戸川の花火大会だけはどうしても行きたくて、力技で東京にいきました。しかも延泊までしました。打ち上げスポットからかなり近いところに場所取りしてくれる人たちがいて、おかげさまで今年も、光を浴びるように花火を見ることができました。

 

 

でも、今年の花火はなんだか、

 

 

打ち上がる視界いっぱいの花火に、みんなの心を一瞬で惹きつける花火に、

 

夜空を瞬間的に彩る花火に、あの一瞬の美しさに、

 

涙が出そうになった。

 

それは、ただただ感動したんじゃなくて、

 

「自分がそうありたいから」だったんじゃないのかな。

 

 

自分をいつも抑え込んでしまう要らないものを、

 

すべてを取っ払ったものが本当の美しさなら

 

花火こそが、その姿だなぁって思った。

 

 

人にだって、過去も未来もなくて、いまこの瞬間だけを生きるしかないっていうのは

 

花火こそが、その生き方のお手本なんだなぁって思った。

 

 

花火は、腹の底にいる私に「今しかないんだよ」って教えてくれているような気がした。

 

あの花火を見て、私はなんだかいつもは届かない自分の深い深いところに、そんなメッセージみたいなのを感じてしまった。

 

私の溢れ出そうな涙は、自分の深い深いところに閉じ込めてしまっている、「ほんとうの私」の涙なのかもしれないなぁ。

 

 

夏は、大切な瞬間が、スローモーションに見える。

 

それは、一瞬の美しさのおかげなのかもしれないね。

 

 

 

花火だけが、一瞬ってわけじゃなかったんだなぁ。

 

 

 

というわけで、私の『太陽みたいな女になる計画』は絶賛進行中です。

 

夏よ、ありがとうね。 

 

【恥ずかしい皮たち☆夏の出来事シリーズ①】果物アレルギーが治っちゃった編

ブログというのは、「毎日書く!」と気合を入れれば入れるほど、遠のいていく。

肩に力の入った自分と向き合うのは結構しんどいらしく、脱力するまで書く気がしないし、文章の神様も全然降りてこない。「じゃあ今降りてきてるの?」と言われると言われればよくわからないが、「鍵盤を叩きたい!(楽器)」ならぬ「キーボードを叩きたい!(PC)」っていう気持ちだけはある。 この波に乗って、今日からここ1ヶ月間で溜まりに溜まった夏の恥ずかしい皮を一挙大公開(予定)。

 

 

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 私は果物アレルギーを持っている。

 

「桃を食べるために地球に降りてきました。」というくらいに死ぬほど食べた。桃で自分を20体作れそうなくらい、いただいた。

すると、人生のうちに超えてはいけないアレルゲンのボーダーラインを中2で優に超え、私の身体は大好きな桃を全力で拒絶し始めた。唇は腫れ、喉はかゆく、喉(というか食道?)が腫れ上がり呼吸困難な状態にまでなり、「中2、夏。ワタシ恋を始めました。」と浮かれている私の心と「異物混入!イマージェンシー!!」の赤ランプを灯し続ける身体とのギャップに、軽くパニック状態になった。あの暑い夏から、大好きな桃が食べられなくなったんだ。

 

 

 

こ、こんなに愛してるのに・・・。

なんなら、あの人よりも。

 

 

 

その事件があってから、私はりんご、梨、さくらんぼがダメになり(唇腫れる程度の軽症)、桃とビワがもっとダメになった(死を感じるほどに重症)。

もともとお肌はアトピーで、ハウスダストと鼻炎持ちなので抵抗力は強くない。自分の身体のスペックを把握して生活しなければ、決して甘くはないこの世の中、生き抜くことはできない。それらの愛しい果物たちは、泣く泣く「食べられないリスト」にアーカイブされた。お中元やおばあちゃんの家から送られてくる桃たちを前に、私は指を咥えながら、家族の幸せの入り口(くちの中)に運ばれていくのを見守ることになった。

 

 

またいつか、我が味覚に快感をもたらしてくれることを信じて。

 

 

 

 

あれから十数年たった今年の夏。おばあちゃん家のお墓参りの時に「どうせ食べも食わんから、持ってけ。」と言われ、たいそう立派な桃をいただいた。

私は久々に、桃毛が確認できるくらいまでの距離で桃を眺めた。ふと「姪っ子のおしりみたいだなぁ。かじりつきたいなぁ。」という思いがよぎる。

 

 

・・・。

 

 

 

頭の声で「アレルギーなんてもう時効じゃない?」「アレルギーだなんて幻想じゃない?」「むしろあれって、今世の記憶?」と、それにかぶりつくために、アレルゲンの有効期限を作り、身体の問題なのに気持ちの問題にして、あの病院に運ばれかけた己の記憶さえ疑った。

 

結局「先祖に一度お供えした桃は、食べなきゃバチが当たりそうじゃん?」と、捨て身同然で桃を食らうことに。すると、、

 

 

 

 

 

パクっ

「あれ。」

 

 

パクパクっ

「あれれ?」

 

 

パクパクパクっ

「おおぉっ・・・・!!!!!!!」

 

 

 

 

食べられる・・・っ!!!

 

 

 

 

 

 

というわけで、結局その日は3切れ食べても、なんの症状も出ず。

次の日もう1玉食べても、かゆくもならず。

心も身体も健康なまま、本日に至ります。

 

まじでありがたや。感動の再会。

アレルゲンが去ったのか、時間が解決したのか、アレルギーなんてウソだったのか、北海道の夏がそうさせたのか、未だに解明できませんが、とりあえず、アレルギーは治らないことはないみたいです。

 

 

 

我が人生のうち、半世紀ガマンして食した大好物。

あきらめなくてよかった。

もしかしたら、とうの昔の「食べられないもの」も、思い込みかも?

(食する際には、自己責任でお願いします。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

余談ですが、数年前にアレルギー検査をすべく皮膚科に行った時、約20種類のアレルゲンを水で溶かした液体をすべて右腕に注射しました。つまり20本の注射を一気に片腕にぶっすぶす打たれまくるという「末端恐怖症の人なら序盤で死に至るレベル」の苦行を強いられた時には、ぎゅっと握った手のひらから手汗がダクダクに滴りました。アレルゲンを調べたい際には、病院もいいですが「アレルギーかな?」って思ったら、素直に口にしないことをオススメします。

 

だって、ぶっすぶすに注射打たれるんだぞ。ブッスブスになっ!!

 

女子と仲良くなるための、必殺『きびだんご戦法』

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 女の友情は、強いのか、脆いのか。
 
 
 
私はかつて、女友達が少ない(というか、いなかったときもあるけど)ことについて、悩んだ時期がある。キラキラとした女たちとどう接していいのかが、全くわからなかったからだ。キラキラとした女たちは、なぜだか「わかる!」という名の”きびだんご”を持って、「これあげるから仲間になってよ」って言っているように見えた。そしていざとなったらどうなるかわからない「ペラい友情」を結んでいるように見えて、すごく安く感じた。 だから、人間臭く、腹を割って話しあえる(と、自分が思える)人間しか信用できなかったんだ。
 
そして、キラキラ女子と仲良くできない自分を、自分自身で良しとすることがなかなかできなかったので、少しの間、悩むことになった。
 

言葉と感情のチグハグ感

私は、なんにでも共感する言葉を発する人間に、共感ができない。共感女子は、きび団子を作ることに慣れてしまったせいか、それらしい共感ポイントをすぐに探し出すことができる。それはそれで尊敬してしまうし、「頭の回転が速いのだな」とか「発想の転換が上手だな」とか思う。だが私が気になるのは、その会話の中であらゆる意見の波に呑まれていく彼女の心の在り処だった。合わせまくれるあなたの心は、盛り上がる会話とは裏腹に、消耗して萎んでいくようにも見えた。それに気づいた私が「結局あなたはどう思うの?」と言うのも、なんだか野暮だと思った。
 
 
 
ほんとうは両肩を掴んで「Where are you!!」と叫びたいけど。
 
 
 
寂しさを紛らわせるために、その輪に入ろうとして、自分を手放していく。
そしていつしか、自分の気持ちもわからなくなる。こうやって、うわべの友情が生まれてしまう。この薄っぺらい空間は一体誰のためなのか。それがなんだか、無償に退屈で、窮屈で、でも一人じゃ寂しくて・・・これが、もんもんと悩んだ内容の内訳。 
きっと学生時代に誰しもが、群れるか否か、悩んだのかもしれない。そして何度かトライを重ねるもしんどくて結局、少数派に属することを選んだのだけども。
 
 
もちろん、すべての共感女子が薄っぺらなきびだんごを渡してるとは思ってない。「勘違いだよ。」「そう捉えるあんたが捻くれてる。」と言われれば、それはそれでそうなのかもしれない。「ナイス!」も、「イエス!」も、人はもらって嬉しいと感じるから。
 
でも、人の感情って、取り繕える言葉や表情以外の、些細な仕草とか、目線とか、その人から発せられる見えないなにかで感じ取れてしまうもの。もし、本当にすべてが共感できて受け入れられているのなら、言葉と感情のチグハグ感なんて、感じないはず。
 
 
 
 
 
 
ほんとうのきびだんごは、わからないことも「わかる」という言葉じゃなくて、「わかろうとする姿勢」じゃないのかな。
 
理解しようとする姿勢は、一緒に歩幅を合わせてくれるみたいで、うれしいもの。
私も、あんたと一緒に歩きたい。
 
 
 
それがきっと、特製きびだんご。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
余談ですが、先日「パンとラーメンは腹持ち悪い。」と言っていた女子がいました。パンはわかるけどラーメン腹持ち悪いか?と思ってどこの何ラーメンをどうやって食ったのか聞こうとしたら、横から「わかります!ラーメンは飲み物ですよね!」と共感する女子がいました。聞くタイミングを逃した私は消化不良を起こしてラーメンが頭から離れずその足でラーメン屋に入り「特製とんこつチャーシュー麺」を注文して腹持ち具合を確かめようとしたら、まんまと胃もたれしてしまいました。その話を後日、共感女子に話したらこう言われました。
 
「年ですね!」
 

おかげさまで、恥ずかしい皮も29周年。

みなさま、お祝いのメッセージありがとうございました。
先日は、私、恥ずかしい皮の誕生日でした。
 
 
振り返ってみれば、28歳は本当に激動の1年でした。
ここに書けないような素敵なことがたくさん起こったし、ここにもっと書けない強烈なこともたくさん起こりました。
そして札幌に戻るという決断もこれまた強烈。1年前の今日は、自分でもここにいるとは予想していなかった。
 
ここ数ヶ月間、本当の意味で「自分を好きになる」ってどういうことかなってずっと考えてました。
いま私が考える「自分を好きになる」っていうのは、大小関わらず自分がしたいことを、シンプルに、素直にやれてるかどうかってことなんだなって思います。そして例外なくそういう人は、「こうすべきだよ。」ってアドバイスする北風みたいな人じゃなくて、「いいんだよ」ってすべてを受け入れてくれる太陽みたいな人だなって思った。
 
 
その点でいうと、私はまだまだ自分を檻の中に閉じ込めてしまっているなって感じる。
 
 
 
 
 
どうやら自分の誕生日っていうのは、産んでくれた両親に感謝する日であり、精神面とは裏腹に、肉体面が絶対的に年齢を重ねる日でもあるみたいです。
 
おとんとおかんが、私を奇跡的に産んでくれた。そして生まれたと同時に、死ぬまで有効の『地球お楽しみ券』をもらった。
 
生き方には本当に苦しんだけど、あれはあれで『お楽しみ券』で体験できるアトラクションの1つだった。
 
しかも、気付かなかったけどそれも自分で選んで乗ったやつだった。それに、人生の節目でたくさん事故ったから、その『お楽しみ券』はたぶんゴールドじゃなくなっちゃった。
 
ゴールド以上のプラチナになっちゃった。笑
 
年齢は一つの指標でしかないけれど、自分がこの世に生を受けてどのくらい経って、今何ができるかを見るには、きっとちょうどいいんだなって思う。
 
 
 
 
 
ある人がこの前『時計なんか丸くなければいいのに。』って言ってた。
『時計が丸いから、また明日も変わらず同じ日が来るってみんな勘違いする。もし時計が定規みたいに一直線だったら、一番端は「死」だから、自分が着実に「死」に向かっていくのを自覚できるのに。今この瞬間は今しかないって、みんながちゃんと自覚できるのに。』って。
 
私は、着々と死に向かってる。
生まれた日に「死」なんて考えるなよって感じかもしれないけど、生も死もセットだなって。よく自分の人生を考えるときは「自分の葬式の時、どんな葬式にしたいか考えてみるといい。そこから逆算するといいよ」っていうけれど、何度考えても、私の頭じゃその逆算方法がわからなかった。
 
でも、最近マイブームのNARUTOを見て、国をおさめる長(火影のじいちゃん)が死んだ時に、悲しんでくれる人の数や悲しみの深さは、「その人がどれだけ人に愛を与えたか」で決まるんだなって思った。それを知った時に、私はそのシーンを見ながら号泣したんだけど。メッセージだらけのNARUTOは、本当にすごいよ。
 
最後に、肉体みたいにわかりやすくない精神面は、器の広さで測るもんなんだな、とも思った。
「人間の器ってなんだよ」って猛烈に思った時に、斎藤ひとりさんの『器』という本を読んで結構衝撃を受けた。「”お先にどうぞ”といえる器の広さ」というのが印象的だったけど、それは単なるジェントルマンじゃなかった。
その本に書いてる器の広い人も、ざっくりと要約すると私が思う、太陽みたいな人のことだった。
この本はきっと、来年の今日読んでもグッとくるんだろうな。
 
 
 
 
 
来年の今日、この投稿を30歳の私が読んで、なんて思うかわからないけど(訳わかんないこと書いてるなって思うかもしれないけど)いま書いたことすべて総括して、29歳の目標は、「素直な太陽みたいな女になること」。
 
もし、私から愛を感じて、いい感じに太陽だな!って思った際には、まんま「太陽みたいだね」って言ってくれたらうれしいです。
きっと私は『あぁ、いま生きているな』って実感できると思います。
 
 
そうやって、素敵に歳を重ねていきたい。
ここまで読んでくれてありがとう。
というわけで、29歳もよろしくお願いします。
 
 
 
 
 
合掌
恥ずかしい皮

25年間、病院に運ばれるほどの便秘症だったんだぜ。

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この時期はアイスが一段とうまい。巻き巻きのソフトクリームアイスは普段あまり選ばないが、夏になるとバニラが愛おしく感じる。炎天下で溶けないうちに食べたいところだが、ぺろぺろと舐めながらかわいさをアピールできる絶好のチャンスが、ソフトクリームにはある。結局はぺろぺろに集中しすぎて溶けたアイスで手がベトベトになり「その手で触らないでくれ」というあらぬ距離を生むことになるのだが。
 
 
 
 
 
だから、真夏のソフトクリームは嫌いだよ。
 
 
 
 
 
 
私は物心つく前に、自分のお腹は他の人よりも弱め・・・いや、頑固だということを自覚していた。なぜなら、「気が遠くなるほど、お腹が痛い」という強烈な体験をしょっちゅうしていたから。原因不明の腹痛はだいたい、「お腹出して寝て冷えた」ってことで落ち着くが、私を最も苦しめるものが腹の中にあった。便秘症だ。
 
循環、排泄というプログラムが、私のお腹にはされていなかったのだろうか。
それとも何かしらのバグが発生しているのか、自力で外に出ることはほとんどなく「もう置いておく隙間がありません!」と腸から脳に指令が行き、やむなく脳ミソ様の指令で押し出される感じだった。
ほんと、あの頃あ5日に1度まとめてお通じがあれば方だったんだ。
 
だから私のお腹はいつもぽっこり出ていた。かわいいカエル体系が3歳の時からずっと変わらない。そして我がお腹は、週に1度腹痛を、月に1度の大掃除のみたいに夜中に激痛を引き起こし、両親に救急病院に運ばれ、点滴か筋肉注射か浣腸をされて、朝方帰宅。そのまま学校へ行くという、人生で一番忙しかったんじゃないかっていう疲弊した生活を送っていた。便秘で死んじゃう人もいるくらいだから、両親も必死だったんじゃないか。そんな私の人生をも左右しかねない、いつも機嫌の悪いお腹に敬意を払い、以下、お腹様と呼ぶ。
 
お腹さまが怒る(痛くなる)というのは、本当に辛い。「私が何かしたなら謝るから、どうか静まってください、お腹様。」とお腹をさすりながらお腹様に話掛けることが多々あった。当時のお腹様は、だんまりをきめて何も答えてくれなかったんだけど。それでもウォシュレット付きの温座だけは、お腹様の機嫌を取ってくれるような気がした。
 
そしてついには仕事にも支障が出てきたので、社内ではオシャレな横文字の「ベンピスト(便秘スト)」「ふんずまりこ」というあだ名がついた。そのくらいの時から、「そもそもトイレで格闘するのも、循環という自然なサイクルが狂っているのも、おかしくね?」と本気で考えた。このままじゃダメやと危機を感じ、25歳の時に本気で脱☆便秘症を企てることになる。
「毎日2回出るよ。」「ご飯食べたら自然とお通じがあるよ。」とかいう理想的すぎるヘルシーな生活を送る人たちに聞きまくり、生活習慣を見直すことにしたんだ。
 
そしてついに、お腹様と和解が成立し、ほぼ毎日お通じがあるという理想的な生活を手にいれることができた。「これが標準スペックか!!!!なんて爽快なんだ!!」と感激しまくり、共にお腹様に「今までごめんね」と陳謝した。
 
腸内フローラとかいう言葉が流行する中、私がまじで1年ほど試行錯誤した結果、これだけやればほぼ毎日出るっていう方法を書いときます。「お通じ」ってなんだよって思っている人。「全然通じないわ。」って思ってるのであれば、是非ともためしていただきたい。
 
 

①起き抜けに白湯を飲む。

「お腹様、朝ですよ。」と目を覚まさせてあげるようにコップ1杯の白湯を飲みます。頭がボーッとして目覚めが悪くても、白湯を飲むと同時に内臓が活動し始めるので眠気もスッキリします。
 
 
 

②お米を玄米にする。

「お腹様、食物繊維ですよ。」と、お通じが出やすいものを食べます。いつものご飯に何かを足すのもいいけれど、毎日食べている白米の半分を玄米に変えてあげるだけでとんでもなく効果があります。雑穀米もいいけど、見た目も味も変わるので、白米こそジャパニーズ・ソウルだ!という方は、これがオススメ。朝はパン派なのって方、朝は食べませんって方でも1日のどこかのご飯に玄米混ぜてあげてください。お腹様が「お前わかってるな。」って言ってくれます。
 
 
 

③水を飲みまくる。

「お腹さま、お水です。」と小まめに水を飲みます。
1日の必要水分量=体重(kg)×33と言われています。(いろんな説がありますが。)
私はだいたい1.5ℓ飲むようにしてます。一気に飲もうとすると辛いので、1食につきペットボトル1本分(500ml)飲むと別に辛くもなく、お通じも柔らかくなって結果オーライ。「お前わかってるな。」ってお腹様が褒めてくれます。
 
 
 

④寝る前に腸マッサージする。

「お腹様、明日も頼みますよ。」と、腸を時計回りにマッサージしてあげます。
私は布団に入ってからちょいと強めにやってあげると、朝トイレ行きたくて起きるくらいお腹さまが寝てる間に活動してくれます。別にお風呂でやってあげてもいいんだけど、寝る前だったら仰向けでマッサージできるので、よりお腹様の状態がわかるかと。
 
 
 
以上、4つ。これさえやっておけば、運動不足でも、特別な何かを食べなくても、出ます。私はね。
自分の身体は自分が一番わかっているので、ぜひ続けられるものを試すことをオススメします。なんせ、毎日のことですから。。
 
快適なお通じライフをお楽しみいただけたら幸いです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
余談ですが、以前猛烈な腹痛に襲われ、病院でウィルス性急性胃腸炎と診断された時に「今日から3日間なにも食べてはいけません。チョコもナッツもお茶もダメ。水とポカリだけ。」と言われました。人生初の断食は意外とお腹空くこともなくいい感じでデトックスすることに成功した私は、3日間我慢した自分を褒めてあげたいということで連日大盛況のピザ屋に食べに行きました。3日ぶりの食事はとても美味しく、楽しい時間はお酒も進ませるのですが、案の定猛烈な腹痛でまた病院に行くと医者に呆れられた私はこう言いました。
 
 
「お腹様も喜んでたと思うんですけどね。」

札幌に帰ってきて早3ヶ月で思ったことまとめ。

「毎日平和だなぁ。」と、平和ボケしていたら、先日フレッシュな寿司ネタから寄生虫に寄生されました。
激痛のため眠れない夜が続き、ネットで調べると「寄生虫は胃の粘膜を破ろうとするので腹に激痛が走り、4〜7日間は生息します。薬は効かない。」と書いてありました。「もしやつらが死ぬ前に胃の粘膜がやられてしまったら」…と思うと、夜も眠れません。
とにかくやつらにダメージを与えるために、飢餓状態にしてやろうと思い絶食しようかと思いましたが、絶食したところでやつらは私の内臓に噛み付くだけでダメージ食らうのは私だけ。とりあえず薬でごまかしてなんとか生き延びます。
 
 
 
 
 
寄生虫はよく噛んで食べましょうね。(ぇ
 
 
 
 
 
 
 
さて、札幌に帰ってきて、もう3ヶ月が経ちました。
地元に慣れるのになぜか1ヶ月。(新千歳に着陸した次の日に速攻で風邪ひきました。)
モソモソと動き出して1ヶ月。
そして悶々と考え始めて1ヶ月が経過しました。
たかが国内、されど国内(しかも離島)。色々と感じることが多いので
書いておかないと、そのうち自分が染まって、なにが違うのかわからなくなってしまうのでここに記します。
 
 
 

空気がとにかく美味しい。

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 スーハースーハーッ!!♡♡♡

最初の半月くらいで肺の浄化が完了した気がします。細胞が、身体が喜んでいる!!
おかげで鼻毛が伸びるのがゆっくりになりました。(ぇ
ただし国道付近とか歩いていると、環七とか環八沿い歩いてるのと大して変わらないのであの辺でスーハー♡したらきっと鼻毛の蔦ができあがります。
 
鼻毛を育てないように、深呼吸は場所は慎重に選びたい。
 
 

ゴ◯ジェットもゴ◯ブリホイホイも売ってない。

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そう、私を苦しめた忌々しきあの害虫が、北海道にはいません!!!!
うそです。います。あんなオイルで手入れしましたみたいなテリテリツヤツヤの大きな背中ではなく、カメムシサイズの奴らが、札幌中心部地下や、商業施設(年間通して暖かい場所)には生息する模様です。
ですが、民家には基本的に生息不能らしく(ストーブつけなきゃ氷点下のため)、遭遇することはまずありません。
「いないでくれよ、いないでくれよ」という心の中の呪文も、「今の噴射で逝ってくれよ、お願いだ」を神に祈ることももうないでしょう。
ひゃっほい!!
 

紫外線が、なかなか強烈。

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太陽を遮るものが少ないからでしょうか?
風は冷たいくせに、気温も、体感温度も低いくせに、太陽ビームはなんだかガンガンに強く感じる。。
肌の深層部にジリジリと攻めてくる紫外線に戦慄し、私は生まれて始めて日傘がほしいと思ってしまった。
紫外線で悪しきメラニンが生成される我々とは裏腹に、絶好の光合成日和が続く北海道の植物たちは、めちゃくちゃ元気。
あなた(植物)が幸せなら、私も幸せです。
 
 

駐車料金は半額!ただし、送料が何かと高い。

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これはある送料の一覧表ですが、ご覧の通り、高い。東京の倍や。
「送料無料になるには、あといくら分買えばいいのか?」とか考えるようになりました。ネット通販派でしたが、買い物は、出かけたついでにできるだけお店で直接買うようにしています。
一方、駐車料金は土地柄お安く、車文化な札幌は無料駐車場も多くドライブにも適しております。お金で時間を買う民族は都民が大半を占めているのではないかしら。とはいえども、かしこいネット通販の利用法もきっとあるはず。
今後のことも考えて、上手に使いこなしたい。
 
 

毎日が北海道物産展。

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東京で開催される北海道物産展は、いつも大盛況らしい。
一方北海道では、「きたキッチン」という北海道グルメのアンテナショップ(?)も海鮮丼も北海道小麦を使った美味しいパンもいつでも食べられます。
そういえばついこの間まで、アスパラが旬の季節を迎えておりました。甘かったなぁ。
そういえばつい先日、帆立てのバター醤油焼きをいただきました。でっかかったなぁ。
そういえばつい先日、富良野富良野豚カツサンドいただきました。美味かったなぁ。
何もかもが一回り以上デカく、常識を覆すほどに甘く、そして美味い。
東京はどのジャンルでもその業界を極めつつある人の料理をいただけますが、ご当地各所は、その食材の極みをいただけるものなんじゃないかなぁ。
 
今は夕張メロンが市場に出回り始めました。これもまた楽しみ。
さて、次は何食べようか。
 

イベントスペースが、やたらと安い。

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この写真の場所は中島公園駅にある「オノベカ」っていうイベントスペース。
駐車場もそうだけど、家賃も安い。するとレンタルスペースもおのずと1時間1500円とか。やっす。3時間で3600円とか。やっすー!!!
そして札幌地下、大通〜さっぽろ駅間のレンタル料も高校生でも借りられるレベルの安さ(曜日、サイズにもよります)
東京は同時多発的にイベントやっていて、かぶることも多いですが、札幌はまだまだ少ないです。でも、イベント自体には興味のある人も多いのかも?
札幌でイベントやりたい。って方いらっしゃいましたら、仲介しますよ。お手伝いもします。
というか、私がイベントやりたい。
 
 

静かすぎて「しーん」という音が聞こえる。

山奥に住んでいるからか、夜は死ぬほど静かです。
虫の声やカエルの鳴き声、鳥のさえずりが聞こえる時間はいいのですが、窓を占めて自然界からの音がなくなると
マンガのような「しーーーーーーーーーん・・・・」という音が聞こえます。
(北海道は二重窓なのでなおさら音をシャットアウト)
これがしばらく続くと「シーーン」の向こう側の「キーーーーン」という耳鳴りのような音に変わるため、だんだん頭がおかしくなりそうになります。
東京は基本的に眠らないので、交通量も多く、なんだかんだ静かな場所を探す方が大変だったり、逆に静かすぎると一人で歩くのが怖かったりもします。
北海道は眠るのでコンビニが24時間じゃないところもチラホラ。
というわけで、最近は耳が寂しいので常になにかしらの音楽を流しています。だから道民は音楽好きが多いのかなぁ?
全く音がないと、人間不安になるものなんですね・・・。
 
 

札幌は、標準語じゃない。

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誰が言い始めたんだ、札幌が標準語だなんて。
東京にいるときに、何度か指摘されたことがありましたが、自分では全く自覚がありませんでした。
札幌市民は「◯◯でしょー」ってところを「◯◯しょー」って言います。「で」が抜けちゃう。
自分が気にしているからか毎日「しょ」が耳に残る。
「人のふりして我がふり直せ」と言いますが、特に「それ方言だよ!」と言われることもバカにされることもないので染まる一方でございます。
「なまら」も「わや」も「したらね」も使いたい放題。
もう誰もなまりを止める人はいない。。
 
 
 
 
 
他にもいろいろあるんだけど、わかりやすいところはざっくりとこんな感じ。
何と言っても札幌市民は、心がとても繊細な人が多いです。私の気がまわらないことにも気がまわり、感情の機微が汲み取れる人たちです。東京みたいに変な人は絶対的に少ない。
何年も東京にしがみついておりましたが、実際にこっちに越してきて思ったのは、どっちにも良し悪しがあって、住めばミヤコになる。そして環境を変えたところで、じぶんは地球上どこにいても変わらないんだなってこと。
環境も大切だけど、居心地のいい環境は、自分で作っていくものなのだなと、ここ3ヶ月で思ったことでした。
 
 
ということで、札幌に来たいという方は、ぜひとも御一報くださいませませ。
 
次は「札幌に帰ってきて感じたことまとめ」も書きます。
今日はここまで。
あでゅー

魂から声を出せる人は、自分の魂と向き合ってる。②

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さて、前回の続きです。
話し方について。
大嫌いなスピーチをいい感じにする方法でもあります。
(会社でのプレゼンにも役立つかも?)
 
 
 
 
 

◎言葉の出処を上手に使う

心のベクトルが整ったところで、今度は言葉の出処を決める。
人は話すとき、言葉を発するとき、無意識にやってる人がほとんどだけど、実はどこから声を出すかを自分で決められる。これは筋肉の使い方ではなく、声量でも腹式呼吸とか胸式呼吸とかでも副鼻空に響かせるか否かという話でもない。それぞれの部位を上手に使えば、自分の言葉に「目に見えない何か」を上乗せすることができ、相手に想いを届けることができる。
 
その部位とは『頭』『胸』『腹』の3つだった。
 
どんなに秀逸な台本を完璧に暗記したとしても、言葉の出処が違えば、不思議と相手に与える印象も、伝わる気持ちもガラリと変わる。詳しく解説してます。
 
↓↓↓
 
 

テクニカルだけど、なんだかグッとこない「〜しなければならない」の呪縛にかかりやすい「頭」

「上手に話さなければいけない」「◯◯さんにこう思われるかもしれない。」「本当はやりたくないのにやらなきゃいけない」。そう、相当話慣れていない人が頭で話そうとすると、自分と戦ってしまう。ベクトルが内側に向きやすいのだ。
そうすると感情を乗せられる「胸」が窮屈になって、躍動感や感情が伝わらない。(実際呼吸が浅くなったり胸の辺りがぎゅーっと圧迫されてる感覚になるとそうなってる。)
 
それだけじゃない、身体をこわばらせド緊張状態になってしまう。足はガクブル。額と背中に津たる冷や汗。血の巡らない手足。急に痛くなるお腹。
「イメトレ、練習バッチリ!」「普段から人がジャガイモにしか見えない。」「人前でこそパフォーマンスでます。」のような人々は、頭で話しても「上手に」話すことができ、それこそ知的な印象を与えることができる。呪縛はすべて打破したような状態で上手に「頭」で話す人はこんな感じに見えます。
→テクニカル、知的、淡白、論理的な印象に。
 
 

少し砕けたとしても感情のこもる、伝わる「胸」

「胸」で話すと、普段人と話す時とあまり変わらない状態でスピーチできます。
台本があれば、それにちゃんと感情を乗せることができるし、一言一句覚えてなくても、感情に、楽しさの波に身を任せて脱線してでも伝えたいこと、話の流れを「胸」において話していると、結果いい感じになります。ただ注意したいのは、その途中で脱線したことに焦ってしまうと「頭」を使ってしまうので聴衆は「?」になることも。
コツは、歌手とかが歌う時、胸に手を当てて歌う人多いですよね。あれは感情を、気持ちを込めて歌ってるから。あそこに集中して話す感じです。あれができる人はスピーチにも適応できます。自分の足元を意識するのもオススメ(頭に意識が行きにくいから)。
こうやってみんなが大好き友人スピーチの「ほっこり感」や「グッとくる感じ」は胸で乗せることができます。
→温かみ、人間味、躍動感、等身大、親しみやすい印象に。
 
 
 

台本なんてお構いなし!その場の空気に合わせてダイレクトに届ける「腹」

「腹」には、臓器ではありませんが、丹田っていう人間のエネルギー貯蔵庫的な場所があります(ヘソの下のあたり)。スポーツをされる方はそこで体幹を鍛えたりバランスをとったりの練習がメニューに組み込まれることもあります。また、そこは「魂がある=本当の自分がいる場所」という説もあります。瞑想する時には、そこに1点集中する方法もあって「自分は本当はなにがしたいの?」という答えがそこにあったりもします。自分探しの際は、旅に出る必要はない、内側を感じろっちゅーことですね。
 
ちょっと脱線しましたが、そんな「本当の自分」の声を聞くことができると、「腹」から言葉を出すことができます。
この時、言葉は勝手に湧き出てくる。しかも自分でもビックリするくらいにたくさんのことを言葉で表現できる。この時の頭の中はびっくりするほどに、静か。そして尚且つ、相手の深いところに言葉が届き、『いま、私のDNA書き換えられてるんじゃね?』『私、地に足ついてなかったけど、やっと地球に足ついたんじゃね?』『胸の鼓動が止まらないんじゃね?』という感覚にさせることができます。
 
 
三宅洋平さんは、まさにこの「腹」で話してると思いました。人の魂を突き動かすエネルギーたっぷり含んだたくさんの言葉たち。それが生まれるのが「腹」です。
コツは、普段から瞑想なりして、自分の声に耳を傾けることに限ります。
→撃ち抜かれる感じ、強い使命感、芯の貫いた意志、ある意味瞑想状態にさせられる。
 
 
 
以上3つが言葉の出処と、その効果。発信者が話した言葉は、相手の「発信者の言葉の出処」と同じ場所に届く。頭からの声は論理的に分析する頭に、胸からの声は感情を揺さぶり、魂の声は魂を揺さぶられる。相当なひねくれ者か、心を閉ざしてしまっている人は魂レベルじゃないと響かないかもしれない。いずれにしても、それぞれの部位を意識して伝えることは、ただ言葉を発するよりも説得力や伝えるという能力は格段に増すと思います。
 
 

大丈夫、ちゃんと伝わってる。

前回も書きましたが、私の経験上、相手の声を聞いている人には、「緊張してる」ってことも、ちゃんと伝わってました。
色々書いてしまいましたが、「上手に話さなきゃ」はナンセンスということだけはわかっていただけましたでしょうか。これは仕事だろうと、会話だろうと同じこと。
上手く話せるかどうかは練習と場数と度胸。みんなが期待しているのは、上手に話せるかどうかじゃない、みんな聞いているということはあなたからの何かを受け取る体制ができてるってこと。上手く話せなくても伝わってることに安心できれば、きっとあなたの軸は定まります。
 
 
せっかくのステージ、自分の持ってるものをしっかり表現したいもんですね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
余談ですが、昔、毎日がオーディションだった時に必ず「自己PRをお願いします。」と言われていました。応募者多数の激戦にも関わらず、自己PRとは関係のない「ここ最近のラーメン事情」について熱く語った時になぜか合格しました。というか関係のないことをとにかく熱く語ると合格するというジンクスまで自分の中にあったので、いつか、またオーディションなり面接なりを受けるような時があれば、恐れず熱く語ってみようと思います。
 
「ここ最近の札幌ソフトクリーム事情」について。

『地元に帰る=敗者』な考えに縛られていたんだぜ。

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 ※これは過去記事ですが、誤って削除してしまったため、リライトしました。
 
 
これは、東京に来て3年が経った頃の話。
あの頃は、とにかく尖って、誰かとの違いを「自分」だと思って、さらにそれが「正しい」と自分で信じたくて、なんとかして自分を維持しようとしていた。地元に帰るという選択肢に迫られた時のこと。
 
 

自分を認めていただきたく、地元を離れる。

20年間住んできた地元を離れるという決心と、その許可を得るのは、意外と簡単だった。「やりたいことがある」「あの場所に憧れている」「外を景色を見てみたい」「ただそういう気分」でも、「一花咲かせてやる」とでも地元を離れる理由になる。
私の場合は、自分というアイデンティティを確かめたいっていう気持ちが半分と、あとは母親への「立派な人間になってやんよ!!」っていう宣戦布告だったのだけど。
そして適当に考えた東京に行きたい理由も「日本を知りたい」という適当なもので両親から「行ってくれば?」と許可が下りました。
 
実際にキャリーバッグ1つで上京してから2日で住む家を探し、「一人で東京に出てくるなんてすごいね」という人は意外と多くてびっくりしたのを覚えてる。東京の8割くらいが自分と同じ単身上陸者だと思っていたから。だから、そんなのはハードルでもなんでもなかったし、評価に値するもの?とも思ってた。あの頃の私はとにかく自分を確立するのに躍起になっていたから。
 
 

「自分が幸せなら、それでいい」という寛ぎながら生きる方法を知らなかった。

地元を離れてどんな生活を送ろうが、どんな幸せを勝ち取ろうが、どんなハプニングが待ち受けていようが自分の人生でしかないのに、ベクトルが一向にお外な私は、なにをするにも、周りの評価が気になってしょうがない。私が見ている現実の中で、自分の価値は一向に見つからなかった。 
 
最近話題の本、永田サビさん『さびしすぎてレズ風俗に 行きましたレポ』を読んで共感出来ることがたくさんある。私はレズ風俗にこそ行かなかったものの、「人肌が恋しい!」とか、「とにかく抱きしめてくれ!」とかの気持ちは痛いほどわかる。その辺は当時の彼氏にしてもらったけど、やっぱりなんか幸せじゃなかったなぁ。
 
さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ

さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ

 

 

 
 
『◯◯歳で◯◯ができて、いま◯◯をしている私』が当時の自分の指標だった。それが自分が存在する理由だと思った。というか、自分が存在する理由が欲しかったんだ。
私はそれに縋り付くように、生きていた。だから、否定されると途端に脆く、耳を塞いで拒絶し、この世界の中で「自分」という人間を「私はここだ!」と、とにかく言いたくて、それを認めてほしかった。
 
本当は「誰でもいいから、何もない自分を愛してくれ」と、懇願している気持ちの裏返しだったんだけど。(この時は誰でもよくなくて、母親にだったけど)
 
 
 
だから、誰かが地元に帰る選択をした時、私はその人に「敗者」の烙印を押していたんだ。「まだ、やれるはずだろ」って思っていた。私は、多様性の「た」の字もなく、自分に共感してくれる人、賛同してくれる人しか、仲間だとは思えなかった。本当はいつも、自分の心の休息を求めていたのに、自分の正しさをただ誇示したくて崖っぷちでいつも「まだ、やれるはずだろ」と、そう叫んでいたんだ。自分をすり減らして生きる私は、本当は帰りたいのに「帰るわけにはいかない」といって、力尽きてしまったんだけど。
 
 
 
もしも誰かがあの頃の自分に「この世は、自分の心が映し出す世界なんだよ」って教えてくれたら何かが違ったのかも。とも思うけど、きっとあの頃の私はそんなことを聞いても意味を理解できなかったかもしれない。
 
東京に辿り着いて人生を漂流して7年、私はコロンブスみたいに誰もが認める世紀の大発見をすることはできなかったけど、わたしの欲しかった「愛」は自分の中にあったっていう、自分史上最高の発見はすることができた。
 
自分の中に愛があり、自分にOKを出せるようになって地元に帰ってきたいま、私はあの頃よりも何も持っていないけど、こんなにも幸せで穏やか。
空が晴れていて、空気がおいしくて、今日もまた生きていると実感できるだけで「ありがとう」っていう幸せのハードルがぐんと下がった。
 
 
 
 
自分を愛することを知った今、私はあの頃の自分を抱きしめてあげたい。
「だいじょうぶだよ」って。
 
そして、過去の自分みたいな人が目の前に現れたら、そうしてあげたい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ちなみに、いまでは何も持っていない私でございますが、「すべての原因が自分の外にある」と思い込んでいた私は、なにかあればすぐに「環境が悪いのかもしれない」と、引っ越しをしていました。何度も引っ越しを繰り返すたびに不動産屋に足を運んだ私は、いい部屋選びのノウハウだけはかなり得られた気がするので、”ヤドカリ女”の称号だけはいただきたいところ。もし、他になにかいただけそうならご一報ください。
 
バッジにして胸につけて生活します。
 
 
 

魂から声を出せる人は、自分の魂と向き合ってる。①

誰とも話をしないで終わりそうな一日の最後には、誰かに電話しようかどうか迷う。『きっとあの人は今頃…』とか思いながら、電話帳から友人達の名前を眺める。用もないのに電話を掛けて「どうしたの?」って言われたところで特に何もないんだけど、声にはその人の健康状態も心理状態も全部現れるから『いや、ただ声が聞きたかっただけ。』っていうのは、乾きそうな心を埋めるためだけじゃなくて、デジタルの文字だけじゃわからないあなたの情報がもらえる。元気な声を聴けると、ほっとすることもある。
 
 
 
 
真面目に『今日が、誰とも話さずに終わりそうなんだ。』と伝えると、だいたい心配されてしまうんだけど。
 
 
 
 
 
 

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いま、絶賛選挙フェス中の三宅洋平さんのスピーチが話題になっている。あの演説は何度見ても「ハッ!」とさせられる。彼の言葉は「私もなにかしたいんじゃなかったか?」と、自分の中の忘れていた何かを思い出させてくれる。その声は今、海を越え、世界に届き拡大し続けてる。
 
コミュニケーション能力とは、『自分の話を聞いてくれた人が、その後とった行動で測るもの。』と、何かで読んだ気がする。だけどあれだけ人を動かすことができるのは、もはやコミュニケーション云々を超えて『光が、希望がそこにあるから。』と言わざるを得ない。そして私たちは、その光を、希望を信じてみたくなるんだ。
 
 
 
 
そんな今日のテーマは『話し方について』
三宅洋平さんのように魂を揺さぶる話し方を習得するにはどうしたらいいのかを、ステージの上で何度も「ひぃッ!!」となってしまった私が分析してみました。
 

人前に立つことのヒヤヒヤ感

私は、人前で話すのがめちゃくちゃ苦手だった。というか、今もあんまり得意じゃない。マイクを持って人前で話す仕事をしていたのに、クォリティのムラといったらなかった。自分で上手く話せたなと思える日の方が、少なかったかもしれない。そして自分で望んでそこに立っていたくせに、「私はどうしてここに立っているのだろうか」と自問自答したり、「今から誰か変わってくれないだろうか」「今から全身に蕁麻疹が出て誰かが家まで運んでくれないだろうか」と、時に逃げ出したくなることも少なくなかった。そんな時は当たり前だけど、決まって上手く話すこと、すなわち「誰かに何かを伝えること」なんてできないんだ。
 
その一方で、私の話を聞いていくうちに、死んだ魚の目をしてる人の目に光が灯っていく瞬間も、後ろを向いて作業をしマイクで話す私の話を聞いてくれなかったあの人を振り向かせ、棒立ちにさせたこともあった。そういう人は、終わった後に、必ず熱く声をかけてくれる。あの時の快感といったらない。人の価値観が変わる瞬間、誰かの魂に声を届けることができた時に「あぁ、私はいま生きている。」と実感し、それに快感さえも覚えた。
 
そんな話していて「伝わらない時」と、「誰かの心を揺さぶることができる時」とは、何が違うのか。
一体私の中で、何が起きているの?
マイクを持って話すことに快感を覚えてしまった私は、「どうかあの快感をもう一度ください!」と、自分の身体から言葉の出処を探ることにした。
 
すると、ある法則が存在することがわかったんだ。
 
あの頃の自分に教えてあげたい!と思いながら書きます。
 
 
 
 

◎まずは、心のベクトルを整える

よく、「聴衆をジャガイモだと思え」とか「レスポンスのいい特定の人に向かって話しなさい」とかいうけれど、私は人がジャガイモやカボチャに見えたことも、ステージ上で寄り目したとしても100人が5人に見えたこともない。あまりの人数にドン引いて、「人が蟻のようだ!(ラピュタ)」と思ったことはあるけれど。
 
人が緊張しているときは、たいてい心のベクトルが内側(自分)に向いています。
「上手に話さなければいけない」「失敗したら◯◯さんにこう思われるかもしれない。」「本当はやりたくないのにやらなきゃいけない」・・・
こんな自分のことで頭がいっぱいな状態では、私が発する言葉は音でしかなく、どんなに大きな声で言っても、相手には必死に覚えた原稿が、何も伝わらない。そのかわり「周り見えてるようで全く見えないとっても非常事態にある私が、なにかを伝えようとしている」っていう意志状態だけは良いんだか悪いんだかわからないけど、例外なしにみんなに伝わる。
 
心のベクトルが内側に向いているときは、聴衆は置いてけぼりになり、独り言を言ってるのとあまり変わらない。そもそも、どう見られるかなんてある程度練習しないとコントロールできないし、結局のところ、自分の印象はこちら側は決められない。「自分がどう見えるか」を気にしながらでも完璧な自分をもれなく伝えられるのは、たぶん世界でもキムタクトム・クルーズくらいだと思ってる。だから気にしなくていいよ。気にしたところで、せっかくの出番が台無し。
 
だからさっきも書いたけど、いくら噛もうが滑らかでなかろうが「自分がどういう状態でどんな気持ちで話しているか」って状態と意思だけはちゃんと相手に伝わる。「あの人の話、あまりまとまってなかったけど、なんだか心は伝わってきたなぁ(ほっこり)。」みたいな経験はきっとあるはず。
 
つまり「上手く話す」=滑舌がいい、滑らかである、ユニークであるだけではない決してない。(これは、どちらかというと関心するポイント)
実際は、結婚式のスピーチとかが特にそうだけど、話してる内容(話の構成も大事だけど)よりも、上手か下手かよりも、「自分の伝えたいことに、どんな気持ちを乗せて話しているのか」こそ、聴衆が求めてること(なにかしら感動するポイント)だし、伝えたいことなんじゃないのかな。感情の乗ってない言葉に、人は感動できないんだなぁ。感動って、泣けるってことだけじゃなくて、心を動かすってこと。
 
この「上手に」話せなくても「ちゃんと伝えることはできている」ってことを知ってるだけでも、人は結構安心して話せます。結果的に、リラックスできるので、「上手に」話せたりもします。
 
 
まずは、どうやったって相手には意志と状態が伝わるので、安心してベクトルを外に向けて伝えたいことに集中しましょう。
 
 
 

◎言葉の出処を上手に使う

心のベクトルが整ったところで、今度は言葉の出処を決める。
人は話すとき、言葉を発するとき、無意識にやってる人がほとんどだけど、実はどこから声を出すかを自分で決められる。これは筋肉の使い方ではなく、声量でも腹式呼吸とか胸式呼吸とかでも副鼻空に響かせるか否かという話でもない。それぞれの部位を上手に使えば、自分の言葉に「目に見えない何か」を上乗せすることができ、相手に想いを届けることができる。
 
その部位とは『頭』『胸』『腹』の3つだった。
 
 
 
つづく。