だいたい、感じてなんぼ

人生、自分の感じたものがすべて。あらがわず、しなやかに。

「なぜだ!ノート」を書いていたくせに、鬱になったんだぜ。

そう、あれは25歳の秋を迎えた頃のこと。

たくさんの「なぜだ!」と向き合ってきたつもりだったが、本当に向き合わなければならない「なぜだ!」は見ないフリをしていた。自分の心のベクトルと身体のベクトルが示す方向が真逆で、徐々に分離が進んでいたことには自分でも薄々気づいていた。だがしかし、その不調和に触れるのはタブーなような、深く深く自分の中に沈み込んだ、私を少しずつ蝕んでいくガン細胞みたいなものと向き合う勇気が、その時はなかった。それがわたしの弱さでもあった。

結局立ち止まることもなく心と身体が逆方向に走り続け、私は車裂き状態で、ズルズルと「鬱!」と言われるゾーンに落ちていった。

 

 

知らないうちに組み込まれた、あの人を幸せにしなきゃいけない感。

結局、脱☆鬱!をするために、私は強制的に、禁断の「なぜだ!」に向き合うことになった。そして時間をかけて掘り当てたのは、自分の母親を幸せにしてあげなきゃいけないっていう責任感だった。決して本人の口から「幸せにしてくれ」と言われたわけではない。自分で勝手に背負った荷物だった。いつも被害者のように振る舞い(振舞っているように見えた)、かわいそうな母親を見るのが、その本人の口から発せられる心ない一言が、辛かった。結局、私がどうやったら幸せにできるだろうと考えた結果に出てきた「母親を幸せにする計画」は、私の本当にやりたいベクトルとは別の方向性のものだった。そんなことは気にもせず走り続け、一秒でも早く幸せにしたい!という想いの傍らで、「自分もしあわせになりたい!大事にしてほしい!」という自分の本当の声に、耳を塞いでいた。結局この「幸せにしなきゃいけない」という荷物を背負った日から、身を削って走り続けることになる。腹の底に沈んだこの悲しみの塊は25年間光を照らされることなく、それが私の世界を作り続けていた。

 

身体の傷は時間が経てば治る。心の傷は、向き合わなければ消えてくれない。

目に見える肉体の傷は、消毒してガーゼして絆創膏貼って…って、適切な処置をすればだいたい治る。骨折したって、元どおりとは言わなくても、だいたい治る。その部分だけより頑丈になったりしてね。

でも、心の傷は可視化できないだけに、見て見ぬフリして蓋をしたり、他のなにかでごまかしたりすることができてしまう。1日寝れば完全に忘れることができる器用な人はいいが、そうでなければ、それは時間が経てば消えてくれるものでもないし、どんどん積もっていつか必ずガタがくる。周囲を巻き込む爆発が起こる。人によっては、ダ☆イ★バ☆ク★ハ☆ツ!!

 

結局のところ、私は被害者っぽい母親、自分を大切にしない母親と接して、私はたくさん傷付いたのだ。「どうしてそんなことをいうの!」「私は必要ないってのか!」「どいひー!」「かなぴー!」と。

一見、心の傷は身体の傷よりも厄介なように感じるけれど、実は身体の傷とは違って良いところは、きちんとそれと向き合えば、その傷はちゃんと癒えてくれるってこと。

自分が感じたことをスルーすると、それは後に火薬に化けますが、向き合うとその場でシュワシュワと泡のように見事に消えてなくなります。

ただ、溜まりに溜まったガン細胞ばりの感情と向き合い、自分を認め、おっしゃー行ける!となるまでに、かなりの時間を要した。その向き合う時間は傷に塩を揉み込むくらい、つらいんだぜー!

 

具体的に向き合うってなにって感じですが、簡単に言えば、感情と向き合うって感じ。わかりやすいのは「怒り」の感情で、怒りが起こる前には必ず「悲しい」か「寂しい」かのどちらかがあると思っています。じゃあその悲しいと寂しいが発生するような、つらたんな出来事があって、じゃあなぜ、私はこう感じた?こう思った・・・?そうやって「なぜだ!」「なぜだ!」をやりまくるってかんじ。この時ばかりは諸刃の刃の「なぜだ!ノート」。この時出てくる答えを目の当たりにするたびに大変なダメージを喰らいます。HPは常に一桁。ポーションかケアルみたいな回復魔法をかけてほしいけど、回復するためには「なぜだ!」しまくるしかないんだな。 すると、だいたい根っこは同じところに行き着く。「あ、そんな単純なことだったのか。」になります。その時の「なぜだ!ノート」はもうダークすぎてどっか行きました。

きっと自ら消滅したんでしょう!

 

 

 

 

そこから私は、「自分を大切にする」ということが、少しずつわかるようになった。どえむ精神で「なぜだ!」しまくった結果、たったの6ヶ月で鬱ゾーンから抜け出すことができた。
そして私が変わると、自然と母も変わりました。いまではとても仲良しで、いい関係です。

そう、自分を大切にできない人が、周りの人を大切にできるわけないと思う。

自分を好きになれない人が、他の誰かが自分のことを好きになってくれるわけないと思う。

(昔、こう書いてる本があったけど、当初はこれ日本語か?ってくらい理解できなかったな。)

そしてまた、自分を大切にすることを知らない人が、自分を大切にすることを自分の子に教えられるわけがない。と、私は思う。

きっと母の親もまた、そうかもしれない。私自身も受け取り方も悪かったのかもしれない。

でも、親以外でもいい。トモダチでも、親戚でも、上司でも後輩でも。周りにいるだれかが、自分を大切にすることを教えてくれたら、きっとこの世の中はもっとピースなんじゃないかなって思う。

自分の頭の中にあることしか、絶対現実に起こらないから。

 

 

 

どんどん視界が明るくなる。

いまは、自分史上最高にしあわせです。

 

それも、周りにいるピースなみなさまのおかげ!!

今日もみなさま、ありがとうございやす!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに、余談ですが、札幌で何かおもしろいことができる仲間を探しています。わたしと同じニオイのする人がいたら、ぜひともご紹介くださいませ。

別に北海道規模でもいいんだけど、札幌から函館は車で4時間半、旭川は3時間、釧路は5時半かかるからね!

 

広告を非表示にする