だいたい、感じてなんぼ

人生、自分の感じたものがすべて。あらがわず、しなやかに。

ブラコンだった私にとって、兄は心の拠り所でしかなかったんだぜ。

そう、これは3年前の兄の結婚が決まった時。私はまだ『おめでとう』も、うまく言えずにいた。よりによって挙式を円も縁もないハワイにしたと聞いた時でさえ、私は『なにそれ、意味わかんない。』と一蹴したんだ。

知ってる人は知っている。私はお兄ちゃんが大好きだった。(いまも普通に好きだよ。)しかも、兄の結婚式には、嫁よりも、嫁の父親よりも母親よりも誰よりも涙を流しただろう。でも、それは決して失恋した!とかそんな心の痛みじゃなかったんだ。

いままで私を一番にしていてくれていたのに(と、思っていたのに)、これから何を支えに、何を糧に、どうやって生きていけばいいんだという絶望感に近かった。 まるで北朝鮮から兄だけ脱北に成功したかのような、自分だけ国に取り残されたかのようなあの頃の心境は、なんとも表現しきれない。

 

そもそも、ブラコンとはなにか。それは『お兄ちゃんが大好きで仕方ない。』とか。『男はお兄ちゃん以外考えられない』とか。人によってブラコンの塩梅も違うだろう。とにかく家族や友達や自分が社会で関わる全人類の中でも、お兄ちゃんが何にも変え難い特別な存在であるということだ。

ザコンファザコン、シスコンもきっとそうだろう。(ロリコンの実態はまだよくわからない。)

私は昔から、ブラコン友達とはとにかく馬が合う。「お兄ちゃんが死んだら、私たち死んじゃうよね!キャキャキャッ!」と言った具合に、お兄ちゃんが大好きな人々にしかわからないこの気持ちの共感力がハンパないのだ。とにかく、我々ブラコンマインドを持った妹(もしくは姉)としては、その存在が生きる上での大きな心の支えなのだ。

 

■お兄ちゃんが好きって、なに?

ただ、そんなブラコン絶好調なわたしも、私なりに悩むこともあった。仲良しエピソードを語るたびに「ほんとうに中がいいんだね!」というところから兄妹で仲が良いなんて信じられない!という人からは「えっ、それ大丈夫?」と言われるくらい仲良しだった。でも、それは我が家ではフツーのことだと思っていた。今考えても、ふつーだった。途中までは。

たしかに兄のことは好きだ。自慢のお兄ちゃんでもあった。でもこれはどうやらフツーの好きではないらしい。この単なるファミリー的な『お兄ちゃんが好き!』から『絶賛ブラコン中』に進化したのは高校在学中のことだった。この単純にファミリー的な『お兄ちゃんが好き!』と『絶賛ブラコン中』の間にはちょっとした壁がある。と、私は思っている。

前者は単なる仲良し兄弟。後者は好き!であるのには変わらないのだが、兄妹という枠を越えファミリーという枠を越えて、スペシャルな感情を抱くのだ。人によってはなにか影を感じさせたりもする。今思えば、いかに自分がブラコンかを自慢するときには、自分自身どこか腹の底にモヤモヤとした重さを感じる時もあったりした。

私はこのちょっと踏み入った気持ちに「もしかしたら、タブーとされた領域に入ってしまうのかも。」「もしかしたら、その禁断に触れてしまうかも。」もももしかしたら、もしかしたらこの普通じゃないかもしれない自分に、私の脳は、ドバァーーーーーーッ!!っと、ドーパミンやらのへんてこな快感物質を分泌していたのだろうか。

(いや、実際は出ちゃいないよ。)

 

 

じゃあ私は他の男の子に興味がなかったのか?

いや、あったあった。付き合ったりもしたし、色恋は多い方だった。と、思う。好きだったら自分から告白しないと嫌だというくらい、わりと積極的だった。

たしかに兄の顔はタイプかもしれない。いや、お兄ちゃんが好きだから、その顔がタイプになったのかもしれない。

たしかに兄の性格はタイプかもしれない。いや、お兄ちゃんが好きだから、その性格がタイプになったのかもしれない。

卵が先かニワトリが先か。兄が先かタイプが先か。

 

単に「好きだ。」と一言でいうのは簡単だが、もしかしたらこれは、LOVEなのか。LIKEなのか。それとも本気の、ドストライクなのか…。

 

悩ましい心の痴情に、この気持ちはなんだ?なんなんだ?と『なぜだ!ノート』を開く。

 

もしかして、私ふつうじゃないの?

 

 

 

■依存は家族の心の歪みが生み出した産物。

毎度おなじみ、心の歪み。ほんと、いろんな問題を生み出してくれます。

私が母親と本格的に不仲になり始めたのは高校生の頃。私の母への『愛情が足りてまてんクーデター』の火蓋は切って落とされた。クーデターを起こすことで、「愛情が足りん!」「私のそのままを認めておくれよ!」という気持ちを表現していたつもりだった。(あ、母とか愛情とか、なんのことかわからない人は今までの記事を読んでね。)あの頃から母にぶつけるような非行に走り始める傍ら、それに伴ってどんどん擦り減る心の拠り所は兄しかいなかった。

おとんももちろんいたけど、前回も書いた通り、おとんは当時、お弁当のメインの横にある、ししとうみたいな存在だったから・・・。

兄が大学に入って家から去って行って、私がお家でとってもとっても窮屈になった時(クーデターがどうも上手くゆかん時)くらいから、ズブズブと兄への気持ちが重くなっていった。兄で心のバランスを取ろうとしたんだ。

簡単にいうと、ここでブラコンに拍車がかかった。兄の肩に重たくのしかかったのだ。

非行に走っても自分が辛いだけだと気付いたのは、高校を卒業してからだった。それまでは別にこれといって大きな事件もないまま冷戦状態となり、私は遠隔クーデターに作戦変更して、地元からカバン一つで飛び出てきた。「じゃああんたの言う立派な人間になってやんよ!」とね。

 

 

それから時は流れ・・・

事件は、兄の結婚時期に浮上した。

 

 

長年の遠隔クーデターによる自身の満身創痍。自分を削り続けて色々とギリギリな生活を送る中で、それでも私は負けたくなかった(実際勝つとか負けるとか、ないんだけど。)

唯一の心の拠り所の兄が離れて行くかもしれぬ=心の支援物資尽きる=私墜ちる=クーデター失敗!!となってしまうと危機を感じたのは、突然、兄が『結婚しようか迷っている』と私に相談してきた日のことだった。

私はその時、『迷うということは、NOなんじゃないかな…(闇)』とか言ってしまった。(兄よ、嫁よ、すまぬ)

兄は『う〜ん・・・。』的な感じだった。兄からしてみれば、別に特別な妹だから相談してるというわけではなく、本気で悩んでるだけだった。

この間、私と兄と彼女で3人で会うことが何度かあったが、嫁の仲良くなろうとする意欲とは裏腹に、私の態度はかなり悪質なものだっただろう。今考えれば、単に好きな人としあわせになりたいだけなのに、かわいそうな嫁…。生まれたての子鹿のような瞳で私を見つめる彼女は、私という存在にすっかり怯えていた。余裕の全くない私は、とってもとっても煙たい小姑に化けていたのだ。物理的な距離は縮まるも、心の距離は会うたびに離れてゆく。

 

 

結局その後、結婚はスルリと決まり、その一年後にハワイで挙式することになり、あれよあれよといううちに嫁のお腹には命が宿り、私のクーデターは見事に失敗に終わったのだった。(あ、鬱!ゾーンに突入しました。)

 

 

■兄がパパになって、私はただの妹に戻れた。

正直、脱ブラコンは一番時間がかかったかもしれない。私の場合、もともと普通にお兄ちゃんが好きだったから、その延長線上のブラコンが依存心からくるものだというのは、最大の盲点だった。

それから約1年後、私が「なぜだ!」しまくってる間に姪が生まれ、私が初めて兄のことを『パパ』と呼んだ時、兄と私の間に境界線が引かれた。

私は元のファミリーな妹ポジションに戻った。あぁ、これが正常の兄妹なんだと。もう戦う必要もなくなったし、心が満たされたおかげで、もう必要以上に兄に頼る理由がなくなったのだ。

大好きな兄の幸せを第一に考えてあげられなかった私は、妹として恥ずかしい。嫁にもあんなに小姑したのに、変わらずいまだに優しく接してくれる。この二人だからこそ、私は自分の歪みに気づくことができた。本当に悪いことをしたし、本当に感謝している。

 

兄のことは相変わらず大好きだ。

でも、もちろん前述した通り、昔みたいに寄りかかるような気持ちではないし、もちろん嫁とイチャつかれようとも、もうなんとも思わない。

あの時は認めたくなかったが、嫁は気配りが上手で、私に持ってないものをたくさん持っている、本当に愛情深い嫁だ。そんな嫁が好きだし、兄も好きだし、そのふたりがしあわせなら、ええんちゃうのん?的な心境だ。

その間に姪とめちゃくちゃ遊んでる私もしあわせだ。

姪もめちゃくちゃかわいい。目の中に入れたらきっと痛く感じるから流石に入れたくないなぁという程度にめんこい。姪自身も、私にかなり懐いてくれた。

 

今思えば、私の鬱な期間は、いろんな愛情の見直し期間。

たくさん暴れたけど、とても大切な時間だった。

 

愛してるぜお兄ちゃん!

生まれてきてくれて本当にありがとう。

支えになってくれてさんきゅーだ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに、不仲だった嫁とも時間をかけてジワジワと仲良くなってきました。私が掲げた目標は、嫁と一緒に楽しくお買い物。そこまで、あともう一歩、いや、一歩半くらいか…。誰か、嫁にあげてよろこばれる鉄板の手土産を知っていたら、ぜひ教えてください。

すぐ送りつけます。(闇)