だいたい、感じてなんぼ

あらがわず、しなやかに。

なんでも手に入れちゃうあの子が、うらやましかったんだぜ① 〜太陽編〜

女として生まれて、はや28年。心の成長はままならず間もなく29歳を迎える。

そう、あれは20代前半の頃の話。

 

私には、大好きな親友がいる。時に支え合い、時に励まし、時に笑う。叱咤激励も何度したかわからない。あんたの花嫁姿を想像するだけで泣けてくるぜってくらい、彼女には幸せになってほしい。ただ、私は彼女に対して1つ、手放しに受け入れられないことがあった。

 

それは彼女のコミュニケーション能力にある。

彼女は、わたしがそれまでに築き上げた人間関係を一瞬で掻っ攫っていくほどの会話の達人なのだ。

たとえ待ち合わせで彼女が遅れ、私が飲み屋に先に到着し、隣の知らない人たちと仲良くなって楽しい関係を築こうとも、彼らの記憶の中には、なぜだか小1時間話した私ではなく、後から現れた2,30分の彼女のことしか印象に残っていない。彼女と話している時の彼らの顔の輝きが、そう物語る。そして私の中には、彼女が現れる前の話の中で出てきた登場人物の相関図と、すぐ隣で繰り広げられる楽しい会話ではなく、まるで遠くの光を眺めるかのような距離感だけが刻まれていた。

 

 

さ、さみしい。

 

 

私は別に、人見知りではない。と思っている。でも、どうしてあなたと私はこんなに違うのだろう。初対面でジャブをかまし、相手の出方を伺う私の攻め方に対し、彼女は目が合った瞬間から全力でハートにストレートをかますのだ。共感力という強力なカウンターを隠し持って。それまでの私が作った空気をすべて掻っ攫い、私の存在価値、居場所までなくなっていくのではないかと危惧する私は、そこから会話に参加しきれず、自分の居場所を探したら、物理的にも席の端でじっとしているのが落ち着く、みたいなことが起こるのだ。いや、彼女が私を端に追いやったわけでは決してない。そして寂しいわけでもない、くやしいのだ。

 

ただただ、私が彼女の会話術に嫉妬したのだ。

 

 

親友よ、お前は太陽か。その周りにいるあんたら全員、ヒマワリか。

その場を暖かい空気にする彼女はまるで太陽だった。そしてその太陽の周りには光のある方を追いかけるヒマワリが咲いていた。私は、がんばっても太陽になれず、せめて引力で海をも満ち引きさせてしまう月のポジションがまだ空いている!と思っていたが、結局は「こっちだよ!」って気を引きたいがために視界でちょこまかと動き回るプレゼン用の赤いレーザービームだ。

なぜそんなにも、自分のアイデンティティーを初対面の人間の前で披露することができるのだ。

その自信はどこからくるのだ。いや、自信があるからついた会話術なのか、会話術が身についたからある自身なのか。でもたぶん、そのどちらでもない。 私は20代前半にて早くも頭3つ分くらい飛び出たコミュニケーション能力の開きを見せつけられ、ヒマワリにもなりきれない私は、大好きな太陽(以下、親友を太陽と呼ぶ)に嫉妬した。

 

 

太陽との付き合いはもう12年になる。この間頻繁に一緒に居れたわけではない。だが、私なりに太陽を分析し、なぜ、太陽はあんなにも人の心を掴むのだろう。と考えた。これからまだまだ、人生は長い。人と人との交流で人生の質が決まるのであれば、太陽に学ばないなんて損だ。

 

 

 

私の「なぜだ!ノート」から、太陽の秘密を暴こう。

 

 

 

 

 

 

心の扉全開でくる。

ジャブ、ジャブ、ストレート!ではなく、太陽は一発即発ストレート戦法。初対面の人には自分を小出しにし、相手の出方を伺う私と違って、太陽は最初から全力で太陽で行く。それも空元気のようなものでもなく、圧力を感じさせず、原則その空気を読む。眩しくない程度にその場の空気の1.3倍くらいの明るいトーンで徐々にその空間を照らしてゆく。

 

返報性の原理のように、最初からストレートしてくる彼女につられて、「こちらもストレートで返さなければ」という義務感ではなく、「あ、この人は心の扉がオープンだ。」という心がほぐされていくような安心感だ。彼女の前では、飾る必要もなく構える必要もない。咄嗟に構えたファイティングポーズは直ぐさま解除され、みんな無防備になる。そして観音開きの心の扉の奥にある広大な大地のような、オープンマインドで捨て身で飛び込める懐の深さを感じ、人は彼女に惹き付けられていく。

人はもうだいたいここでヒマワリになる。

 

大抵の人間はこれができないのではないか。というか、見た目や誰かの友達という、あらゆる判断が、自分の心の扉を閉じたり開けたりする。太陽は話す前にその人に色をつけない。例えついたとしても太陽はそれを態度で示さないのだ。

 

 

 

共感力と必殺カウンター

人の心を開かせた後には、素晴らしい共感力とカウンターを喰らわせていただくことができる。会話を続ける毎に素晴らしいカウンターに、「あ、うまく話せなくても、どんなに滑ってもこの人はちゃんと拾ってくれる」と、どんなに小さなすっかり安心し、惚れ込んでしまう。

 

カウンターには大きく分けて4種類ある。「オウム返し」、「要約返し」、「ツッコミ」が、川の流れが滞りなく緩やかに、時に激しくし、そして彼女が、いいよ、わかってるよ!と、包み込んでくれるような「相槌」は、脱線を食い止め無駄を省き、加速させる。それは起承転結をよりシャープに、そして彩を与えてくれる。 

 

なんでも拾ってくれる太陽だが、相手に恥をかかせかねない揚げ足取りは、太陽の趣味じゃない。それどころか、相手を立てるという、「私はあなたをリスペクトしてますよ」っていう姿勢をきちんと示すのだ。また、「よく今の話で流れがわかるな」とうことがザラに起こる。周りがわからなくても、彼女がそれを簡単に要約した時点で、みんなの「?」は解消されてしまうのだ。会話の流れは決して止まらない。太陽が見守る中、この川はもうすでに完璧なのだ。

 

 

嫌味がない。

太陽は生粋の聞き上手だ。耳4つ付いてんじゃないかってくらいの集音力。そして感情の機微まで捉えてしまう。君はオーラのように、人の心が目に見えるのかい?と聞きたい。

そして、太陽は自慢話もあまりしない。したとしても、「ねえねえ聞いてよ!」ととんでもなくキラキラした目で話してくるのに、飾らないというか、結構しょうもない話。まるで5歳児の女の子が今日幼稚園で隣のお教室の男の子にもらった雑草のブーケを自慢してくるみたいな感覚だ。なんてかわいいやつなんだ。そんな太陽に、心がくすぐられてしまう。ここでだいたい嫉妬する。

 

もちろん太陽は、そこに対して「わかってよ!」と言わんばかりの態度も、何一つこちらに理解を要求してこない。どんなレスポンスが来ようとも、彼女は空気を乱さないのが鉄則だ。彼女は相手に対してなにも期待せずに「ねえねえ聞いてよ!」と言っちゃう。言えちゃう。ずるい。

 

これを真似しようとすると、だいたいの女はしくじる。5歳児になりきれず、5歳を演じる実年齢の女にしかなれないからだ。太陽のこの技は、やっていい人間とやってはいけない人間がいる。

試みた私も、何度傷を負ったかわからない。

 

 

 

いつも笑って愛嬌MAX。

太陽は絵に描いたように、いつもニッコニコだ。これだけ一緒にいればその時のコンディションもわかるようになるが、太陽は人前では明るく務める。クリクリのキラキラの真っ直ぐな目に、その場を照らす明るい笑顔。キャッキャと目尻を下げて彼女が笑うと、それを向けられた側はなんだか嬉しくなる。

 

私はだめだと思いつつも、腹が痛ければ腹が痛い顔をし、早くこの場を立ち去りたければ立ち去りたい顔し、私が嫉妬している最中にはきっと微妙な顔をしてしまっている。(たぶん)まさに感情が表に出るタイプだ。クリスティアーノ・ロナウドがCMしてるPAOでも試そうか。

  

 

 

 

 

 

 

 

私が分析した太陽の会話術と、相手を受け入れる懐の深さ。これが頭3つ分くらい上のコミュニケーション能力。

ここまでくると、嫉妬どころか、関心に変わり、分析すれば分析するほど脱帽し、いつしかこんなに小さな私でも太陽に対する思いは、リスペクトに変わった。そして私は、みんなと同じく、ヒマワリになったんだ。

 

 

太陽は、会話術は練習してないと言っていた。

でも、きっと、無意識ながらも誰かを大切に想う気持ちが、自然とその話術を会得させたのだと思う。

 

 

太陽がいてくれたから、私は心の扉を開くことが、誰かを想う気持ちが、如何に大切かにも気付けた。

 

 

 

ありがとう、太陽。

 

これからも、私のそばで周りを照らしてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに、ニートな時間が長すぎると、人と接する時間も少なく、顔の筋肉がみるみる衰えていきます。急に笑わされると、筋肉もビックリして口元が痙攣し、自分自身が今どんな顔をしているのかがわかりません。もし顔がおかしなことになっていたら教えてください。

 

本当に笑っているのか言葉でお伝えします。