だいたい、感じてなんぼ

人生、自分の感じたものがすべて。あらがわず、しなやかに。

魂から声を出せる人は、自分の魂と向き合ってる。①

誰とも話をしないで終わりそうな一日の最後には、誰かに電話しようかどうか迷う。『きっとあの人は今頃…』とか思いながら、電話帳から友人達の名前を眺める。用もないのに電話を掛けて「どうしたの?」って言われたところで特に何もないんだけど、声にはその人の健康状態も心理状態も全部現れるから『いや、ただ声が聞きたかっただけ。』っていうのは、乾きそうな心を埋めるためだけじゃなくて、デジタルの文字だけじゃわからないあなたの情報がもらえる。元気な声を聴けると、ほっとすることもある。
 
 
 
 
真面目に『今日が、誰とも話さずに終わりそうなんだ。』と伝えると、だいたい心配されてしまうんだけど。
 
 
 
 
 
 

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いま、絶賛選挙フェス中の三宅洋平さんのスピーチが話題になっている。あの演説は何度見ても「ハッ!」とさせられる。彼の言葉は「私もなにかしたいんじゃなかったか?」と、自分の中の忘れていた何かを思い出させてくれる。その声は今、海を越え、世界に届き拡大し続けてる。
 
コミュニケーション能力とは、『自分の話を聞いてくれた人が、その後とった行動で測るもの。』と、何かで読んだ気がする。だけどあれだけ人を動かすことができるのは、もはやコミュニケーション云々を超えて『光が、希望がそこにあるから。』と言わざるを得ない。そして私たちは、その光を、希望を信じてみたくなるんだ。
 
 
 
 
そんな今日のテーマは『話し方について』
三宅洋平さんのように魂を揺さぶる話し方を習得するにはどうしたらいいのかを、ステージの上で何度も「ひぃッ!!」となってしまった私が分析してみました。
 

人前に立つことのヒヤヒヤ感

私は、人前で話すのがめちゃくちゃ苦手だった。というか、今もあんまり得意じゃない。マイクを持って人前で話す仕事をしていたのに、クォリティのムラといったらなかった。自分で上手く話せたなと思える日の方が、少なかったかもしれない。そして自分で望んでそこに立っていたくせに、「私はどうしてここに立っているのだろうか」と自問自答したり、「今から誰か変わってくれないだろうか」「今から全身に蕁麻疹が出て誰かが家まで運んでくれないだろうか」と、時に逃げ出したくなることも少なくなかった。そんな時は当たり前だけど、決まって上手く話すこと、すなわち「誰かに何かを伝えること」なんてできないんだ。
 
その一方で、私の話を聞いていくうちに、死んだ魚の目をしてる人の目に光が灯っていく瞬間も、後ろを向いて作業をしマイクで話す私の話を聞いてくれなかったあの人を振り向かせ、棒立ちにさせたこともあった。そういう人は、終わった後に、必ず熱く声をかけてくれる。あの時の快感といったらない。人の価値観が変わる瞬間、誰かの魂に声を届けることができた時に「あぁ、私はいま生きている。」と実感し、それに快感さえも覚えた。
 
そんな話していて「伝わらない時」と、「誰かの心を揺さぶることができる時」とは、何が違うのか。
一体私の中で、何が起きているの?
マイクを持って話すことに快感を覚えてしまった私は、「どうかあの快感をもう一度ください!」と、自分の身体から言葉の出処を探ることにした。
 
すると、ある法則が存在することがわかったんだ。
 
あの頃の自分に教えてあげたい!と思いながら書きます。
 
 
 
 

◎まずは、心のベクトルを整える

よく、「聴衆をジャガイモだと思え」とか「レスポンスのいい特定の人に向かって話しなさい」とかいうけれど、私は人がジャガイモやカボチャに見えたことも、ステージ上で寄り目したとしても100人が5人に見えたこともない。あまりの人数にドン引いて、「人が蟻のようだ!(ラピュタ)」と思ったことはあるけれど。
 
人が緊張しているときは、たいてい心のベクトルが内側(自分)に向いています。
「上手に話さなければいけない」「失敗したら◯◯さんにこう思われるかもしれない。」「本当はやりたくないのにやらなきゃいけない」・・・
こんな自分のことで頭がいっぱいな状態では、私が発する言葉は音でしかなく、どんなに大きな声で言っても、相手には必死に覚えた原稿が、何も伝わらない。そのかわり「周り見えてるようで全く見えないとっても非常事態にある私が、なにかを伝えようとしている」っていう意志状態だけは良いんだか悪いんだかわからないけど、例外なしにみんなに伝わる。
 
心のベクトルが内側に向いているときは、聴衆は置いてけぼりになり、独り言を言ってるのとあまり変わらない。そもそも、どう見られるかなんてある程度練習しないとコントロールできないし、結局のところ、自分の印象はこちら側は決められない。「自分がどう見えるか」を気にしながらでも完璧な自分をもれなく伝えられるのは、たぶん世界でもキムタクトム・クルーズくらいだと思ってる。だから気にしなくていいよ。気にしたところで、せっかくの出番が台無し。
 
だからさっきも書いたけど、いくら噛もうが滑らかでなかろうが「自分がどういう状態でどんな気持ちで話しているか」って状態と意思だけはちゃんと相手に伝わる。「あの人の話、あまりまとまってなかったけど、なんだか心は伝わってきたなぁ(ほっこり)。」みたいな経験はきっとあるはず。
 
つまり「上手く話す」=滑舌がいい、滑らかである、ユニークであるだけではない決してない。(これは、どちらかというと関心するポイント)
実際は、結婚式のスピーチとかが特にそうだけど、話してる内容(話の構成も大事だけど)よりも、上手か下手かよりも、「自分の伝えたいことに、どんな気持ちを乗せて話しているのか」こそ、聴衆が求めてること(なにかしら感動するポイント)だし、伝えたいことなんじゃないのかな。感情の乗ってない言葉に、人は感動できないんだなぁ。感動って、泣けるってことだけじゃなくて、心を動かすってこと。
 
この「上手に」話せなくても「ちゃんと伝えることはできている」ってことを知ってるだけでも、人は結構安心して話せます。結果的に、リラックスできるので、「上手に」話せたりもします。
 
 
まずは、どうやったって相手には意志と状態が伝わるので、安心してベクトルを外に向けて伝えたいことに集中しましょう。
 
 
 

◎言葉の出処を上手に使う

心のベクトルが整ったところで、今度は言葉の出処を決める。
人は話すとき、言葉を発するとき、無意識にやってる人がほとんどだけど、実はどこから声を出すかを自分で決められる。これは筋肉の使い方ではなく、声量でも腹式呼吸とか胸式呼吸とかでも副鼻空に響かせるか否かという話でもない。それぞれの部位を上手に使えば、自分の言葉に「目に見えない何か」を上乗せすることができ、相手に想いを届けることができる。
 
その部位とは『頭』『胸』『腹』の3つだった。
 
 
 
つづく。
 
 
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