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だいたい、感じてなんぼ

人生、自分の感じたものがすべて。あらがわず、しなやかに。

おかげさまで、恥ずかしい皮も29周年。

みなさま、お祝いのメッセージありがとうございました。
先日は、私、恥ずかしい皮の誕生日でした。
 
 
振り返ってみれば、28歳は本当に激動の1年でした。
ここに書けないような素敵なことがたくさん起こったし、ここにもっと書けない強烈なこともたくさん起こりました。
そして札幌に戻るという決断もこれまた強烈。1年前の今日は、自分でもここにいるとは予想していなかった。
 
ここ数ヶ月間、本当の意味で「自分を好きになる」ってどういうことかなってずっと考えてました。
いま私が考える「自分を好きになる」っていうのは、大小関わらず自分がしたいことを、シンプルに、素直にやれてるかどうかってことなんだなって思います。そして例外なくそういう人は、「こうすべきだよ。」ってアドバイスする北風みたいな人じゃなくて、「いいんだよ」ってすべてを受け入れてくれる太陽みたいな人だなって思った。
 
 
その点でいうと、私はまだまだ自分を檻の中に閉じ込めてしまっているなって感じる。
 
 
 
 
 
どうやら自分の誕生日っていうのは、産んでくれた両親に感謝する日であり、精神面とは裏腹に、肉体面が絶対的に年齢を重ねる日でもあるみたいです。
 
おとんとおかんが、私を奇跡的に産んでくれた。そして生まれたと同時に、死ぬまで有効の『地球お楽しみ券』をもらった。
 
生き方には本当に苦しんだけど、あれはあれで『お楽しみ券』で体験できるアトラクションの1つだった。
 
しかも、気付かなかったけどそれも自分で選んで乗ったやつだった。それに、人生の節目でたくさん事故ったから、その『お楽しみ券』はたぶんゴールドじゃなくなっちゃった。
 
ゴールド以上のプラチナになっちゃった。笑
 
年齢は一つの指標でしかないけれど、自分がこの世に生を受けてどのくらい経って、今何ができるかを見るには、きっとちょうどいいんだなって思う。
 
 
 
 
 
ある人がこの前『時計なんか丸くなければいいのに。』って言ってた。
『時計が丸いから、また明日も変わらず同じ日が来るってみんな勘違いする。もし時計が定規みたいに一直線だったら、一番端は「死」だから、自分が着実に「死」に向かっていくのを自覚できるのに。今この瞬間は今しかないって、みんながちゃんと自覚できるのに。』って。
 
私は、着々と死に向かってる。
生まれた日に「死」なんて考えるなよって感じかもしれないけど、生も死もセットだなって。よく自分の人生を考えるときは「自分の葬式の時、どんな葬式にしたいか考えてみるといい。そこから逆算するといいよ」っていうけれど、何度考えても、私の頭じゃその逆算方法がわからなかった。
 
でも、最近マイブームのNARUTOを見て、国をおさめる長(火影のじいちゃん)が死んだ時に、悲しんでくれる人の数や悲しみの深さは、「その人がどれだけ人に愛を与えたか」で決まるんだなって思った。それを知った時に、私はそのシーンを見ながら号泣したんだけど。メッセージだらけのNARUTOは、本当にすごいよ。
 
最後に、肉体みたいにわかりやすくない精神面は、器の広さで測るもんなんだな、とも思った。
「人間の器ってなんだよ」って猛烈に思った時に、斎藤ひとりさんの『器』という本を読んで結構衝撃を受けた。「”お先にどうぞ”といえる器の広さ」というのが印象的だったけど、それは単なるジェントルマンじゃなかった。
その本に書いてる器の広い人も、ざっくりと要約すると私が思う、太陽みたいな人のことだった。
この本はきっと、来年の今日読んでもグッとくるんだろうな。
 
 
 
 
 
来年の今日、この投稿を30歳の私が読んで、なんて思うかわからないけど(訳わかんないこと書いてるなって思うかもしれないけど)いま書いたことすべて総括して、29歳の目標は、「素直な太陽みたいな女になること」。
 
もし、私から愛を感じて、いい感じに太陽だな!って思った際には、まんま「太陽みたいだね」って言ってくれたらうれしいです。
きっと私は『あぁ、いま生きているな』って実感できると思います。
 
 
そうやって、素敵に歳を重ねていきたい。
ここまで読んでくれてありがとう。
というわけで、29歳もよろしくお願いします。
 
 
 
 
 
合掌
恥ずかしい皮
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