だいたい、感じてなんぼ

あらがわず、しなやかに。

【最終回】脱皮を晒すの、今日で止めることにしました。

 
北海道には、秋がない。
日本の土地は春夏秋冬があるが、この地では夏から冬へのシフトは猛スピードで行われ、季節は、春・夏・準冬・冬って感じだった。生い茂っている植物でさえ、その急な「今日から秋です。」という通達に驚きを隠せず、急ピッチで葉を赤くしているに違いない。ラーメン屋の『冷やし中華始めました』の暖簾も、急ピッチで物置へ。 
北海道はもう初雪が観測され、昨日から我が家はストーブがついております。
関東ではつい先日まで30度を超えていただなんて、同じ国に住んでいるとはとても思えない。
天気予報はあまり当てにならず、外に出るときの格好がわからなくて、重ね着を重ねすぎて着膨れした私は、今年も『季節感のない女』の称号を獲得。
 
 
 
 
 
 
 
今年で3年連続、獲得。
 
 
 

 

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タイトルに書いてあるように、
 
私はこの『私の恥ずかしい脱皮した皮たち』を、今日で終了することにしました。
 
理由は明確で、決して後ろ向きなことではなく、これからの自分のあり方を考えた上で出した答えです。
 
 
その理由を明かす前に、今日はここで、今までの脱皮を少し振り返ることにします。
 
 
 
 
ブログを書き始めてから約7ヶ月。
 
結論からいうと、色々迷いはあったけど、この「私の脱皮した恥ずかしい皮たち」のブログを書いてきて、本当によかった。
晒した皮の数は35枚。ブログの更新数としては決して多くはありません。
でも、私の心が、私の葛藤が、私のくだらない性分が、ギュッと詰まってる。
私の心を、鏡のように見せてくれた。
もうこのブログは、私の分身でもあります。
 
 
泣きながら書いた文章も、結構ある。
本当に公開するか、悩んだ文章だって。
過去のしんどい出来事を「爽快な笑い」に変えられる技術は、どれだけその人が自分の中で整理できたかじゃないかな。
私はその技術にムラがあったから、「オモシロイ皮」も、「まだワラエナイ皮」も、どっちも生まれてしまったんじゃないかと思う。
 
恥ずかしい皮を晒すっていうのは、自分の中で恥が恥じゃなくなった時は書いていて楽しいし、そうじゃないやつは本当に自分との殴り合いのような、痛みを伴う作業でもあった。
 
 
 
 
...私がただ、ドMなだけだったんだけどね!笑
 
 
 
 
 
 
 
私は脱皮の道中で、何度か自分の脱皮した皮を読み返しました。1枚1枚の記事が「本当に自分で書いたの?」と思うようなものから、「お前誰だよwww」とツッコミをいれたくなるものまで、文章の中に入っている私のエネルギーは本当にバラエティ豊かでした。

 

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↑↑脱皮の1枚目は、本当に書いていて気持ち良かった。決して整った文章ではないけれど、『ハゲ万歳!!』と、大声で言いたかった。 FB上でしかシェアしなかったのに、閲覧数が初日にして600以上あって、ちょっとびびった。

 

 

 

ハゲ万歳!!

 

 

 

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私の中ではクソ美人の話が結構好きです。私の中の、黒い私。

ただのちんちくりんが、絶世の美女と同じ土俵に立っちゃうだなんて、笑っちゃう。こんな漫画みたいなこと、私も想像してなかった。結局これを書いたことが本人にバレて、『読んで泣いたよ。』って言われました、良い意味で。そして、あの頃言えなかった気持ちを、改めてお互い晒しあって。

 

猫、本当に大好きだ。

 

 

でも、やっぱり猫が地球に降りて来る前に、その美しいボディに乗り込む瞬間に立ち会った際には、全力で乗船を阻止したい。 

 

 

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↑↑この記事は、少し前までの、閉鎖的なオーディオ業界へのフラストレーションの塊でもあります。気持ち的には中指び立ててたのかもね。別に誰にってわけじゃないけど。書いた後、なんだかすっっっっっごく、スッキリしたのを覚えてる。

 

 

 

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 ↑↑この皮も2度の脱皮でようやく終わりました。

キレイでいることへの疑問がここまで複雑化しているとは。

最近のスキンケアは、おばちゃんが使うような超手抜きの化粧水からクリームまでオールインワンから、全部1つ1つちゃんとしたやつを使うようになりました。笑

 

これからは自分のために、輝いていたい。

 

 

 

 

◇長期に渡った『おかん編』で急にオモシロくなくなったのは、脱皮してないのに脱皮したと偽装(!)したからだと思う。

おかんを通した自分自身との戦いは、結局丸29年かかりました。

「ずっと不幸だったの?」と言われれば、全くそんなことはない!

私が見た世界は、明るくなったり、暗くなったり。ずっと秋の空みたいに慌ただしかっただけ。

ただ、地球の空と違うのは、自分の心の空は、自分の力で、晴れにも雨にも、大吹雪にもできるっていうこと。私はそれを知らなかったんだ。

 

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↑↑実際に私の戦いが終わったのは、先日の車の記事の時。

これを書いた日はありえんほどの浄化の涙。

肩に乗せた荷物を全部下ろしたような、開放感。

私はこの日が来るのを、ずっとずっと待っていたような気がした。 

 

 

 

『自分の恥を晒すのならば、せめて笑ってもらわなきゃ。』

投稿した脱皮の中には、まだ完全に整理の出来ていなかった母を通じた自分との戦いですらも、【脱皮済み】にアーカイブしてしまっていました。
 
ブログを開設したきっかけは「過ぎたことはすべて、酒のツマミだ。」という兄の言葉がキッカケ。(チャップリンも言ってたな。)
まだ過ぎていないことを晒してしまうのは、私の美学に反することでもありました。
 
 
脱皮とも言えない、ただの『甘皮剥けました』くらいの話を
何度もなんども投稿してしまって・・・
 
 
 先に謝っておきます。
 
申し訳ありませんですた。ごめんなはい。
 
 
 
 
 

◇どうやら文章にはエネルギーが宿る。

文章は極論、気持ち良い文章か、気持ち悪い文章かのどっちかしかないと思う。
読んでいて爽快感のない、プライベートでデリケートな内容は、あまり気持ちのよいものではない。
それは、書いている人のエネルギーが文章に宿るからだと思う。
 
怒り、悲しみ、苦しみ、喜び・・・書いている最中には、その当時の、脱皮した時の(する前の)、いろんな感情が、胸の奥でザワザワする。それはもうとても生々しく。そしてその人のエネルギーがそのまま生き写しのように文章に宿る。
 
言葉のチョイス然り、文体、喩え・・・総じてそれが、その人が醸し出す雰囲気とか、その人が纏っている空気みたいなものが、そのまま言葉に乗っかってしまう。
 
直接会って話さなくても、電話じゃなくても、直筆の手紙じゃなくても、このWEB上のデジタルの文章でさえ、こんなにも、言葉の裏側(エネルギー)は、かならず伝わる。
 
あたたかさも、かがやきも、つよさも、よわさだって。
 
まるで生きてるみたいに。
 
ほんとうの心は、いつもハダカで、
 
どんなに自分を取り繕っても、上手く書こうとしても、読んでる人をごまかせなかった。
 
 
「言葉」は私が思っていた以上に、おしゃべりだった。
 
 
 
 
  
 

◇これから私はどうするの?

 
私のラスボス級の登竜門を突破してから、最近は「世界は、こんなにも平和だったのか。」とめちゃくちゃ拍子抜けしてます。
 
荒れているのは、自分の内側だけで、外の世界はこんなにも穏やかだったなんて、、、。
 
そして、なんとも言えない幸福感。宙に浮いているような、包まれているような、満たされる感覚。「あぁ、愛されてるなぁ。」とただただ感激し続ける毎日。何をしていても幸せで、ほんとにこの1ヶ月くらい、何も手がつきませんでした。
ここ数日前まではそんな気持ち。
 
後ろを振り返ると、「なぜあんなことが起きたんだろう?」っていうたくさんの理不尽な出来事にも、それぞれにちゃんとした、素敵な理由が見つかりました。
心のしくみも、世の中のしくみも、たくさんの本を読み漁ったけど、思った以上にシンプルだった。複雑にしているのは、自分だったんだね。
私は『幸せになるために生まれてきたんだな』と、『いつだって愛されていたんだな』ということにやっと気付けました。自然と『ありがとう』が湧いてくる。そんな感じです。
 
 
今まで読んでくれていた方も、応援してくれていた方も、通りすがりの方も、本当にありがとうございました。
 
「脱皮した皮たち」のおかげで、ここまで自分を解放することができました。
 
今後恥を晒すのをやめたとしても、きっとこれからも脱皮の連続の人生だと思います。
だけど、いまはこれだけ幸福感に包まれているということ、そして、「ぜんぶいいじゃん。」って自分のすべてを肯定できるようになってしまったため、脱皮のネタがもう見つかりません。笑
それが脱皮ブログをやめる理由の1つ目。
 
 
もう1つの理由。
人間は、SとMに分けられるっていうけど、「極論、Sは構ってほしいから攻撃するという究極のドM」説が本当ならば、世の中の9割以上の人がMで。笑 つまり、それは『自分をいじめる人』。今までの私のことです。
 
じゃああとの1割はというと、『自分にやさしい人』だなって思いました。
そしてそういう人は、何もしてなくても、輝いていられる。
 
もし、自分に痛みを与えても、誰かのためにと貢献しても、本人が心から幸せにならないのであれば、それは自分のエネルギーの使い方が間違っているかもしれない。
 
自分のエネルギーを上手に循環させることができれば、その幸福感は自然と伝染して、広がっていくんだと思う。それが、自分にやさしい人だと思う。
 
そしてそれが、本来の姿なんだと思う。
 
 
 
だから、私は決めました。
私はこれから、自分をいじめる人をやめて、
『世界一自分にやさしい人』になります。
 
脱皮のネタの代わりに、今度は自分の取り戻し方をシェアしたいんです。
私はありえんほど遠回りしたけど、いままでのことを整理すると、
 
自分にやさしくすること。
自分から手を離さないこと。
自分の感情を上手に扱うこと。
不安や恐れではなく、愛から行動すること。
自分の観念に、気付くこと。
 
この本当の意味さえちゃんと理解できれば、
人は必ず、自分を取り戻すことができると思う。
 
 
すべては自分次第。
すべては、自分から始まる。
そして、それは、世界に広がる。
 
地球を救う、お手伝いを。
1人1人が輝けるように。
 
本来の自分を、思い出せるように。 
 
 
 
これからは、今まで得た経験や知識をフル活用して、セッションもやって行く予定です。
そして、ブログのタイトルは『私の太陽化計画(仮)』に変えてリニューアルします笑
 
 
 
どうぞお楽しみに。
それでは、またその日がくるまで。
 
 
いままで、読んでくれて、ありがとう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
あでゅー