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だいたい、感じてなんぼ

人生、自分の感じたものがすべて。あらがわず、しなやかに。

どんなことがあっても、自分を愛する覚悟はあるかい?

私の太陽化計画

やばい、大変だ。久々の、この感覚。 
 
 

それは何一つとして不足のない、家族との時間を味わっている最中に湧いてきた。
ずっとぬるま湯に浸かってるような生活を送っていた私の頭の片隅に湧き出し始めたのは、「これから、どうやって生きていこう?」だった。 
 

 

その問い自体は、「やばいもう人生の選択肢がない!」みたいなネガティブなものではなく、荒削りな、自分っていう輪郭をある程度理解した上での「これ、どうやって活かそう?」みたいな前向きな問い。 
 
 
一度思いっきりぶっ壊れた自分を再建するのに、キャリアめいたものは全てポイして、プライドみたいなのも全部ポイポイして、自分の心が惹かれる方へと不器用に、愚直に・・・いや、そんな潔いものじゃないな。それは、赤いものに反応して突進する闘牛のようかと思いきや、「ここは吟味した方がいい」みたいな変な躊躇もあったりする、その結果「このタイミングで飛び出してくるか!」っていう予測不能な猫みたいな感じで生きていたと思う。 
 

 

30手前にして、一度も正社員になることなく、個人事業主って言ったら聞こえはいいけど、あの時は自分に嘘ついて生きていたから、そんないいもんでもなかった。 
 
 


これからの方向性はだいたい決まっているんだけど、わからなかったのは、これから自分は、何を大切にして生きて行ったらいいのかなっていう、信念的なことで。 

 

 

十数年欲しかった、心の安らぎ、穏やかさ、静けさ。物理的にも心理的にも、「アイム ホーム!」って言えるこの感じ。喉から手が出るほど欲しかったこの感覚を手にしてから、今度は何を軸にしたらいいんだろうかと、考え込んでしまいました。

 

 

そして、考えすぎて、迷子になって、勢い任せで踏み出した一歩で、数日間バランスを崩したのでした。全てがあったこの場所が、気持ちひとつで「ホーム アローン!」的な感じになった。 

 

人間の心って、本当に面白いよ。
 

 

ちょっと話変わるけど、ちょうど5年前くらいに、初めて買った「THE BIG ISSUE」にナタリー・ポートマンのインタビュー記事が載っていて。「どんな私でも両親は愛してくれたから、がんばれたの。」っていうこの文章が、私が「愛」について考えるキッカケになった。 
 

 

「愛ってなんじゃ!」って究明し続けたら、男女間で生まれるラブだけじゃなくて、「そもそも、生きることが愛なんだわ。」っていうところまで行き着いた。「生きるってのは愛情の受け渡しだ」っていうのは、29年間の拙い人生の結論だった。 
 


 
そして、これからを生きる私に足りなかったのって、今問われてるのって、この「愛する覚悟」なんだと思う。 


 

愛する覚悟ってのは、結果がどうであれ、自分を愛し抜くこと。私にはこの覚悟ができてなかった。 
 

 

ずっと受け取れなかった愛を受け取ることに注力していた私は、愛を表現することはあまり得意ではなくて。受け取ることに集中しすぎて、相手が私を好きでいてくれないと、私は相手を好きでいられない、気持ちが変わってしまう、みたいな。 そんな自分を「おのれはなんて弱いんだー!」ってずっと思ってた。 
 


 
つまり、それは誰かを(何かを)愛することよりも、自分の気持ちを表現し続けることよりも、自分が思ってた反応と違った時に「傷付くのがこわい」が上回ってるってことだった。 
 


そしてそれは、「自分の大切な気持ちを表現しない、貫かない」ってことでもあった。 非常にもったいない・・・!!

 

哀しきかな、どうやら人は、幸と不幸のコントラストがないと幸せを実感できない生き物のようで。
それに気づくためにこそ、ぬるま湯に浸ってのぼせた私の第一歩でバナナ踏んずける、みたいなことが起きたんだねぇ。

自分の気持ちを大切にすることは、自分を愛することなんだって、初めて理解できた。 
 
 

このスランプはバナナみたいな柔らかな私の意志を、凍ったバナナくらいに硬くしてくれました。

きっと私は、これからも、たくさんたくさん失敗する。ズタボロになるかもしれない。もしかしたら、また一人になっちゃうかもしれない。
 

 


それでも、私は自分を愛していたい。 
 
 
バナナ、踏んでよかった!
ありがとう!

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