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だいたい、感じてなんぼ

人生、自分の感じたものがすべて。あらがわず、しなやかに。

もっともっと、自己中心的に生きていい。

私の太陽化計画
今朝、布団の中で目覚めた瞬間に『あぁ、つまんないな。』って思いが湧いた。
 
 
やっと、平和な毎日のルーティンに飽きた瞬間が、今日だった。きっとそれは、自分が満たされた瞬間でもあったんだと思う。焦りでいっぱいで、自分も周りも見えなくて、バタバタと行動していた札幌上陸時よりも、ずっとずっと潔く、曇りのない穏やかな感情。
 
人は焦らずとも、満たされれば自ずと腰が上がるらしい。
 
 
湧いてきた思いを手放すことは、「これでもかぁー!」ってくらいにやってきたつもりだったのに、新しいことを始めると、垢みたいにまだまだ出てくる。現実を自分色に磨いていくっていうのは、きっとこれの繰り返しなんだな。
 
 
 
そして「磨くこと」は、一生続けていくものなんだ。 
 
 
「自己中」って一般的には良い言葉に捉えられないけど、最終的に自分の人生をちゃんと歩こうとすると、人は必ず「自己中」になるんだと思う。
 
 
きっと「自己中」には、2つの意味があって。 
 
 
いつの日か読んだ著書『幸せになる勇気』には、自己中の解説があって、「自己中心的な人は、自分が好きだから、自分ばかり見ているのではありません。ありのままの自分を受け入れることができず、絶え間ない不安に晒されているからこそ、自分にしか関心が向かない。」と書いていて。
 
 
 
 
あぁ、自分だな!って腑に落ちた。
みぞおちにフックをいただきました。 
 
 
 
 
この「こんな自分は愛が受け取る資格はない。傷付きたくないから、自分は愛を素直に表現できない。」と、猛烈にこじらせる『自己中』から、
 
 
『好きだから、する。ありがたいから、受け取る。』っていう、他の誰にもお伺いを立てない、純粋な自分基準で、とってもやさしく、シンプルな世界の「自己中」。
 
 
だから、もし前者が「自己中心的」の略なのであれば、もう一つの自己中は、『自分の人生に夢中\(^o^)/‼︎』の略なんだと思う。
 
 
 
その基準の微調整や塩梅は難しそうに見えても、自分基準じゃないどうでもいいことを、「どうでもいい」と言えるようになってくる。
 
 
そしてこの純度が高まるにつれて、
 
後者の自己中は、誰も傷つけないことがわかるってくる。
 
 
 
 
 
 
 
もっともっと、自分に夢中に。
 
どんどん軽くなっていく。
 
まるで、素敵な世界に吸い込まれていくように。
 
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