だいたい、感じてなんぼ

あらがわず、しなやかに。

終わりのターン。

今朝、目を覚ましたら部屋の中で白い息が出た。太陽が上りきるまでしばし目を閉じていようか、たいそう迷った。隙間風の吹くこの家全体を温めるのは至難の技。だからこそ前もって11月頃からパーソナル暖房計画を打ち立てていて、着れるタイプの電気毛布の上にウルトラライトダウンを着てこたつに入っていれば越冬できるんじゃないかとか画期的な案が閃いたのだが、それだと上半身も下半身もロックされてしまうのでどうにかならないかウンウン考えているうちに、こんなにも外は冷え込んでしまった。

 

ユニクロは、日本人の生活圏内に必ずあるものだと思っていた。日本人のあらゆる移動手段を駆使すれば30分圏内にそれはあるものだと思っていた。山の上は、人の生活圏内ではないのだろうか。今の私には我が家のホットステーションを構築するための必需品(?)なのに、どうやっても1時間半以上かかる。ネットで洋服を買うと8割型失敗するので、なるべくそれはやりたくないのだけれど、ジリジリと崖が迫っているゆえに昨日ついにポチった。届くまでは生姜をかじるように摂取して、寒さを凌ごう。春は必ず来る。今年はその暖かい季節の恩恵を、涙が頰を伝うくらいには十分に味わえそうである。

 

 

 

 


先日、山口県にて全国イベントツアーが終わった。
今年の7月名古屋を皮切りに、北は北海道、南は高知県山口県?)まで全国20箇所以上。プライベートも掛け合わせたりしていたために、各地の空港と新幹線口に何度着地したかわからない。地を這うような壮絶な移動は一体トータルで日本を何周できるくらいの距離を移動したのだろうか。


イベント初日に必ずお腹の調子が悪くなっていたことがすでに懐かしい。あの空気感たるや、今思い出しても腸が縮みあがる。現地ごとに死ぬほど美味いご飯をいただいたからではなく、何かしらのストレスがダイレクトに腸を蝕んだ。あまり詳細には書かないけれど、聴覚だけが頼りのこのイベントでは、目の前の相手どうこうではなく如何に己の感覚を信じられているかということが問われているような時間だったように思う。

 

「音」とは言葉よりも繊細さのある細やかな粒子のようなもので、言葉では表現しきれない心のうごめきみたいなものまでも表現し得る、言語の一種なのではないかと思います。そしてその「音」だけで作られた作品や、それだけで紡ぎ出される世界や、世界観のことを「音楽」というのかもしれないなとも思います。

 

その細やかな音の粒子1つ1つは、きっとなんの意味も持たないのだろうけど、音を奏でる際の力の強弱やテクニックだけではなく、奏でる人間の指先や、吐息に込められた想い、その奏者の内に秘める感情によっても、「音」は如何様にも変質しうる。よって時に、その意味を持たない一音に、それを耳にする者へ有無を言わせぬ説得力であったり、深く埋もれていた感情を誘発させるような力を与えることもできるのだと思います。

  

「音」の性質が、ほんの些細なことでも変質してしまうほどの繊細さを持つものであるからこそ、同じく人間の精神というか、常に何か言葉にならなものがうごめいている「心」への浸透力も高く、それゆえに多くの人を巻き込み、人々を一つにし、魅了する圧倒的な力も秘めているのだと思います。「良い音楽」と呼ばれるものはきっと皆そういった力を持っていて、それは毎度裏切ることなく、私たちをいつも同じ感情やモチベーションへと心を調律してくれます。

 

ただ、その1音に込められた感情や想い、それらの音で紡ぎ出される世界観をそのまま体感するのは悲しいけれど簡単ではありません。

難しいこというけど、音源はもちろん、再生機器そのものの性能に加えて、本来の音の性質を阻害するノイズや共振などにより、そのなにか大切なものを訴える力を持った「音」は、無機質で電子的で冷たく、ざらつきさを持つ刺激音に変わってしまい、音の持つ力はそれに埋もれてしまうことがほとんどなのです。

 

「音」に宿された、奏者の込める感情や想いを、温もりを持った音を、奏者が奏でた本来の音を如何に引き出すかが、趣味としてのオーディオではないかと思います。そういった本来の音を、「究極のリアリティ」を再現するのに、みんな試行錯誤を繰り返すのだと思います。

 

その究極のリアリティのある音は、もしかしたら全人類の数パーセントしか体験していないのかもしれません。けれど、その圧倒的体験は、言葉にするのが少し難しいのだけれど、我々人類が唯一共有している「空間」と「時間」を取っ払ってしまうような不思議な力を秘めているようで、それは何かを遠く忘れてしまっていたものを思い出すかのような、どこか懐かしさを覚えるような、そんな感覚すらあります。思考を巡らせることを忘れ、思わず心を奪われてしまうような「感動」も、それと同時に聴覚的な「快感」をももたらしてくれる。オーディオの世界における「良い音」とは、きっとそういう体験をさせてくれる「音」なのだと思います。

 

このイベントは、そういう体験ができるイベントだと思います。

 

 

会場によって定員が決まっていて、10〜30人程度のイベントになるけれど、きっと主催者側からして大切なのは、全体的な満足度とか打率とか(30人中何人が満足してくれたか)になる。たとえ満足しても、最終的にその人の意識がどういう向きに変わったのかは、わからない。人の価値観が変わる瞬間の表情が好きで、それをたびたび特等席で立ち会うことができて幸福に思うけれど、私はその2〜3時間程度しかその人たちとはいられない。だけど、プライベートではないからこんなこと思っちゃいけないのだと思うけれど、ツアーの醍醐味は「私は、あんたに会うために来たんだ。」と確かに思える人に会えることだなと個人的に思う。それは参加している側の立場であってもそう思う。 そういう気持ちにさせてくれる人たちは、私が水面下で期待していた以上の言葉を持っていて、それに到るまでの凝り固まったものをほぐしてくれるような感覚にしてくれる。纏っていた古いものをやっと捨てられるような気持ちにもなる。その時やっと、「点が見つかった。」みたいなことを思う。そして、私がこの仕事をしていた理由を、この土地に来ることになった理由を、その場所に居合わせたその誰かが教えてくれたような気がした。

 

移動距離がその出会った人の印象や出会う言葉の力に比例するわけではない。移動距離がそれを克明にしてくれるのかと言われればそうとも言い切れない。けど移動している間に胸の中に浮き彫りになったものと取って代わる素敵なものに出会えるような、タイミングよくシューティングしてくれる何かと出会えるような確率は、猛烈に高まるように思う。

 

 

このイベントのおかげで、本当に素敵な場所へ運んでいただきました。

同じ空間を共にさせていただきました皆さま、本当にありがとう。

 

どうかこの後、いい風が吹きますように。