だいたい、感じてなんぼ

あらがわず、しなやかに。

家族の時間を紡ごう。

初詣のおみくじは寺でも神社でも「第8番 大吉」を引くという、神々の世界では声が揃っているということで、2018年を迎え、世界は一つ感を感じられた気がして大変めでたい。この際、宗教も神道たるものも何もかも一つにしてしまったらいいのにだなんて思う。ラッキーナンバーなんて全然あてにしてなかったけど、せっかくの8揃いということで、今年もし背番号をいただくようなことがあるのなら、即答で「8番!」と言いたい。目の前に急にマジシャンが現れて君の好きな数字を教えてと言われたら即答で「8番!」と言いたい。新幹線や飛行機で座席指定ができるものなら即答で「8番!(どうせなら8号車)」と言いたい。もし新車を買うようなことがあったらナンバープレートは・・・

 

 

 

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年末年始を東京で過ごし、熱海に戻ったら初雪が観測された。
特大級の満月を目の当たりにしたからか、普段人と接する機会が極端に少ないからか、年末年始の東京ステイはここぞとばかりに対人関係による短期集中冬季講座みたいなものが開講されたような気がする。詳細は書かないというか複雑すぎて書けないので割愛するが、体感値的には往復ビンタにラリアット、みぞおちに大振りストレートをかまされて完全KOみたいな気持ちになり、その上スクワット1000万回という宿題まで出されて熱海に帰り、今ではそのスクワットたるものの消化のターンに入っている。(ような気分。)  それもあってか、年末からの布団からなかなか出られないくらいの眠気が、まだ少し続いている。体調が悪いわけではないが、身体の異変みたいなのを感じざるを得ず、「細胞が変わりたがっている」みたいな誰も立証できないようなことを言い訳にしてこのまま罪悪感を横目に眠り続けたい。そしてこの眠りのターンが終わったら、どこか飛んで行ってしまうのかもしれないとか思う。

 

 

 

 


「空間」とはどのように演出されるのだろうかと、ふと思うことがあった。
人が一箇所にたくさん集まるということは、それだけの数の居場所が必要になる。それは物理的な空間ではなく、もしかしたら空気感というべきだろうか、心理的な居場所みたいなものだ。それがなくて(感じられなくて)孤独を叫ぶ人間は、どうやらジャポンには少なくない。招く者も招かれる者も、その時間や空間をどういうものにしたいかなんていう思いはそれぞれ抱いているのだろうけれど、大概にして共通するのは「居心地の良い空間」になるのだと思う。 

 

 

その定義もきっと様々なのだろうけど、それもざっくり言えば、「身体の力が抜ける状態」なのではないかなと思う。おそらく、今まで出会った中で、家庭環境のトラウマやコンプレックスの大きいものから、対人関係の恐れみたいな小さいものまで含め、皆無であるという人はきっとゼロに等しいのだと思う。もし存在するのであれば、その人は既に我々とは別の世界、ニルヴァーナを見ているはずなのだ。 

 

ありがちだけど、そういう過去の恵まれない環境や境遇であったことを嘆くのは簡単で、それを消化せずにい続けることは、時に、すでに用意されている居心地の良い空間に緊張感を与えたり、差し伸べられた手を自ら払い除けてしまうことになりうる。少しずつ見え始めているぬくもりの世界から、独りでどんどん離れていってしまうことになる。 ただし、それと同様に、理想の空間を描くことは、きっとそんなにも難しいことではない。

 

嘆くことよりも、望むこと。恐れるよりも、理想を空間を自ら描くこと。拗ねてしまうよりも、助けを求めること。そんな素直な気持ちを呈する人を退けるなんて、きっともう誰もしたりしない。ただひたすらに、真っ直ぐにそれを望むことだけが、居心地の良い空間を何よりも堅実に、確実に、創り上げるのだと思う。

 

そして、そのたくさんのあたたかな思いから紡がれる空間は、時に血の繋がりのある家族の時間をも凌駕する。

 

 

 

 

 

今年はそんな空間をたくさん作りたいだなんて思いました。


素敵な時間をありがとうございました。