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だいたい、感じてなんぼ

人生、自分の感じたものがすべて。あらがわず、しなやかに。

おかげさまで、恥ずかしい皮も29周年。

みなさま、お祝いのメッセージありがとうございました。
先日は、私、恥ずかしい皮の誕生日でした。
 
 
振り返ってみれば、28歳は本当に激動の1年でした。
ここに書けないような素敵なことがたくさん起こったし、ここにもっと書けない強烈なこともたくさん起こりました。
そして札幌に戻るという決断もこれまた強烈。1年前の今日は、自分でもここにいるとは予想していなかった。
 
ここ数ヶ月間、本当の意味で「自分を好きになる」ってどういうことかなってずっと考えてました。
いま私が考える「自分を好きになる」っていうのは、大小関わらず自分がしたいことを、シンプルに、素直にやれてるかどうかってことなんだなって思います。そして例外なくそういう人は、「こうすべきだよ。」ってアドバイスする北風みたいな人じゃなくて、「いいんだよ」ってすべてを受け入れてくれる太陽みたいな人だなって思った。
 
 
その点でいうと、私はまだまだ自分を檻の中に閉じ込めてしまっているなって感じる。
 
 
 
 
 
どうやら自分の誕生日っていうのは、産んでくれた両親に感謝する日であり、精神面とは裏腹に、肉体面が絶対的に年齢を重ねる日でもあるみたいです。
 
おとんとおかんが、私を奇跡的に産んでくれた。そして生まれたと同時に、死ぬまで有効の『地球お楽しみ券』をもらった。
 
生き方には本当に苦しんだけど、あれはあれで『お楽しみ券』で体験できるアトラクションの1つだった。
 
しかも、気付かなかったけどそれも自分で選んで乗ったやつだった。それに、人生の節目でたくさん事故ったから、その『お楽しみ券』はたぶんゴールドじゃなくなっちゃった。
 
ゴールド以上のプラチナになっちゃった。笑
 
年齢は一つの指標でしかないけれど、自分がこの世に生を受けてどのくらい経って、今何ができるかを見るには、きっとちょうどいいんだなって思う。
 
 
 
 
 
ある人がこの前『時計なんか丸くなければいいのに。』って言ってた。
『時計が丸いから、また明日も変わらず同じ日が来るってみんな勘違いする。もし時計が定規みたいに一直線だったら、一番端は「死」だから、自分が着実に「死」に向かっていくのを自覚できるのに。今この瞬間は今しかないって、みんながちゃんと自覚できるのに。』って。
 
私は、着々と死に向かってる。
生まれた日に「死」なんて考えるなよって感じかもしれないけど、生も死もセットだなって。よく自分の人生を考えるときは「自分の葬式の時、どんな葬式にしたいか考えてみるといい。そこから逆算するといいよ」っていうけれど、何度考えても、私の頭じゃその逆算方法がわからなかった。
 
でも、最近マイブームのNARUTOを見て、国をおさめる長(火影のじいちゃん)が死んだ時に、悲しんでくれる人の数や悲しみの深さは、「その人がどれだけ人に愛を与えたか」で決まるんだなって思った。それを知った時に、私はそのシーンを見ながら号泣したんだけど。メッセージだらけのNARUTOは、本当にすごいよ。
 
最後に、肉体みたいにわかりやすくない精神面は、器の広さで測るもんなんだな、とも思った。
「人間の器ってなんだよ」って猛烈に思った時に、斎藤ひとりさんの『器』という本を読んで結構衝撃を受けた。「”お先にどうぞ”といえる器の広さ」というのが印象的だったけど、それは単なるジェントルマンじゃなかった。
その本に書いてる器の広い人も、ざっくりと要約すると私が思う、太陽みたいな人のことだった。
この本はきっと、来年の今日読んでもグッとくるんだろうな。
 
 
 
 
 
来年の今日、この投稿を30歳の私が読んで、なんて思うかわからないけど(訳わかんないこと書いてるなって思うかもしれないけど)いま書いたことすべて総括して、29歳の目標は、「素直な太陽みたいな女になること」。
 
もし、私から愛を感じて、いい感じに太陽だな!って思った際には、まんま「太陽みたいだね」って言ってくれたらうれしいです。
きっと私は『あぁ、いま生きているな』って実感できると思います。
 
 
そうやって、素敵に歳を重ねていきたい。
ここまで読んでくれてありがとう。
というわけで、29歳もよろしくお願いします。
 
 
 
 
 
合掌
恥ずかしい皮

25年間、病院に運ばれるほどの便秘症だったんだぜ。

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この時期はアイスが一段とうまい。巻き巻きのソフトクリームアイスは普段あまり選ばないが、夏になるとバニラが愛おしく感じる。炎天下で溶けないうちに食べたいところだが、ぺろぺろと舐めながらかわいさをアピールできる絶好のチャンスが、ソフトクリームにはある。結局はぺろぺろに集中しすぎて溶けたアイスで手がベトベトになり「その手で触らないでくれ」というあらぬ距離を生むことになるのだが。
 
 
 
 
 
だから、真夏のソフトクリームは嫌いだよ。
 
 
 
 
 
 
私は物心つく前に、自分のお腹は他の人よりも弱め・・・いや、頑固だということを自覚していた。なぜなら、「気が遠くなるほど、お腹が痛い」という強烈な体験をしょっちゅうしていたから。原因不明の腹痛はだいたい、「お腹出して寝て冷えた」ってことで落ち着くが、私を最も苦しめるものが腹の中にあった。便秘症だ。
 
循環、排泄というプログラムが、私のお腹にはされていなかったのだろうか。
それとも何かしらのバグが発生しているのか、自力で外に出ることはほとんどなく「もう置いておく隙間がありません!」と腸から脳に指令が行き、やむなく脳ミソ様の指令で押し出される感じだった。
ほんと、あの頃あ5日に1度まとめてお通じがあれば方だったんだ。
 
だから私のお腹はいつもぽっこり出ていた。かわいいカエル体系が3歳の時からずっと変わらない。そして我がお腹は、週に1度腹痛を、月に1度の大掃除のみたいに夜中に激痛を引き起こし、両親に救急病院に運ばれ、点滴か筋肉注射か浣腸をされて、朝方帰宅。そのまま学校へ行くという、人生で一番忙しかったんじゃないかっていう疲弊した生活を送っていた。便秘で死んじゃう人もいるくらいだから、両親も必死だったんじゃないか。そんな私の人生をも左右しかねない、いつも機嫌の悪いお腹に敬意を払い、以下、お腹様と呼ぶ。
 
お腹さまが怒る(痛くなる)というのは、本当に辛い。「私が何かしたなら謝るから、どうか静まってください、お腹様。」とお腹をさすりながらお腹様に話掛けることが多々あった。当時のお腹様は、だんまりをきめて何も答えてくれなかったんだけど。それでもウォシュレット付きの温座だけは、お腹様の機嫌を取ってくれるような気がした。
 
そしてついには仕事にも支障が出てきたので、社内ではオシャレな横文字の「ベンピスト(便秘スト)」「ふんずまりこ」というあだ名がついた。そのくらいの時から、「そもそもトイレで格闘するのも、循環という自然なサイクルが狂っているのも、おかしくね?」と本気で考えた。このままじゃダメやと危機を感じ、25歳の時に本気で脱☆便秘症を企てることになる。
「毎日2回出るよ。」「ご飯食べたら自然とお通じがあるよ。」とかいう理想的すぎるヘルシーな生活を送る人たちに聞きまくり、生活習慣を見直すことにしたんだ。
 
そしてついに、お腹様と和解が成立し、ほぼ毎日お通じがあるという理想的な生活を手にいれることができた。「これが標準スペックか!!!!なんて爽快なんだ!!」と感激しまくり、共にお腹様に「今までごめんね」と陳謝した。
 
腸内フローラとかいう言葉が流行する中、私がまじで1年ほど試行錯誤した結果、これだけやればほぼ毎日出るっていう方法を書いときます。「お通じ」ってなんだよって思っている人。「全然通じないわ。」って思ってるのであれば、是非ともためしていただきたい。
 
 

①起き抜けに白湯を飲む。

「お腹様、朝ですよ。」と目を覚まさせてあげるようにコップ1杯の白湯を飲みます。頭がボーッとして目覚めが悪くても、白湯を飲むと同時に内臓が活動し始めるので眠気もスッキリします。
 
 
 

②お米を玄米にする。

「お腹様、食物繊維ですよ。」と、お通じが出やすいものを食べます。いつものご飯に何かを足すのもいいけれど、毎日食べている白米の半分を玄米に変えてあげるだけでとんでもなく効果があります。雑穀米もいいけど、見た目も味も変わるので、白米こそジャパニーズ・ソウルだ!という方は、これがオススメ。朝はパン派なのって方、朝は食べませんって方でも1日のどこかのご飯に玄米混ぜてあげてください。お腹様が「お前わかってるな。」って言ってくれます。
 
 
 

③水を飲みまくる。

「お腹さま、お水です。」と小まめに水を飲みます。
1日の必要水分量=体重(kg)×33と言われています。(いろんな説がありますが。)
私はだいたい1.5ℓ飲むようにしてます。一気に飲もうとすると辛いので、1食につきペットボトル1本分(500ml)飲むと別に辛くもなく、お通じも柔らかくなって結果オーライ。「お前わかってるな。」ってお腹様が褒めてくれます。
 
 
 

④寝る前に腸マッサージする。

「お腹様、明日も頼みますよ。」と、腸を時計回りにマッサージしてあげます。
私は布団に入ってからちょいと強めにやってあげると、朝トイレ行きたくて起きるくらいお腹さまが寝てる間に活動してくれます。別にお風呂でやってあげてもいいんだけど、寝る前だったら仰向けでマッサージできるので、よりお腹様の状態がわかるかと。
 
 
 
以上、4つ。これさえやっておけば、運動不足でも、特別な何かを食べなくても、出ます。私はね。
自分の身体は自分が一番わかっているので、ぜひ続けられるものを試すことをオススメします。なんせ、毎日のことですから。。
 
快適なお通じライフをお楽しみいただけたら幸いです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
余談ですが、以前猛烈な腹痛に襲われ、病院でウィルス性急性胃腸炎と診断された時に「今日から3日間なにも食べてはいけません。チョコもナッツもお茶もダメ。水とポカリだけ。」と言われました。人生初の断食は意外とお腹空くこともなくいい感じでデトックスすることに成功した私は、3日間我慢した自分を褒めてあげたいということで連日大盛況のピザ屋に食べに行きました。3日ぶりの食事はとても美味しく、楽しい時間はお酒も進ませるのですが、案の定猛烈な腹痛でまた病院に行くと医者に呆れられた私はこう言いました。
 
 
「お腹様も喜んでたと思うんですけどね。」

札幌に帰ってきて早3ヶ月で思ったことまとめ。

「毎日平和だなぁ。」と、平和ボケしていたら、先日フレッシュな寿司ネタから寄生虫に寄生されました。
激痛のため眠れない夜が続き、ネットで調べると「寄生虫は胃の粘膜を破ろうとするので腹に激痛が走り、4〜7日間は生息します。薬は効かない。」と書いてありました。「もしやつらが死ぬ前に胃の粘膜がやられてしまったら」…と思うと、夜も眠れません。
とにかくやつらにダメージを与えるために、飢餓状態にしてやろうと思い絶食しようかと思いましたが、絶食したところでやつらは私の内臓に噛み付くだけでダメージ食らうのは私だけ。とりあえず薬でごまかしてなんとか生き延びます。
 
 
 
 
 
寄生虫はよく噛んで食べましょうね。(ぇ
 
 
 
 
 
 
 
さて、札幌に帰ってきて、もう3ヶ月が経ちました。
地元に慣れるのになぜか1ヶ月。(新千歳に着陸した次の日に速攻で風邪ひきました。)
モソモソと動き出して1ヶ月。
そして悶々と考え始めて1ヶ月が経過しました。
たかが国内、されど国内(しかも離島)。色々と感じることが多いので
書いておかないと、そのうち自分が染まって、なにが違うのかわからなくなってしまうのでここに記します。
 
 
 

空気がとにかく美味しい。

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 スーハースーハーッ!!♡♡♡

最初の半月くらいで肺の浄化が完了した気がします。細胞が、身体が喜んでいる!!
おかげで鼻毛が伸びるのがゆっくりになりました。(ぇ
ただし国道付近とか歩いていると、環七とか環八沿い歩いてるのと大して変わらないのであの辺でスーハー♡したらきっと鼻毛の蔦ができあがります。
 
鼻毛を育てないように、深呼吸は場所は慎重に選びたい。
 
 

ゴ◯ジェットもゴ◯ブリホイホイも売ってない。

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そう、私を苦しめた忌々しきあの害虫が、北海道にはいません!!!!
うそです。います。あんなオイルで手入れしましたみたいなテリテリツヤツヤの大きな背中ではなく、カメムシサイズの奴らが、札幌中心部地下や、商業施設(年間通して暖かい場所)には生息する模様です。
ですが、民家には基本的に生息不能らしく(ストーブつけなきゃ氷点下のため)、遭遇することはまずありません。
「いないでくれよ、いないでくれよ」という心の中の呪文も、「今の噴射で逝ってくれよ、お願いだ」を神に祈ることももうないでしょう。
ひゃっほい!!
 

紫外線が、なかなか強烈。

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太陽を遮るものが少ないからでしょうか?
風は冷たいくせに、気温も、体感温度も低いくせに、太陽ビームはなんだかガンガンに強く感じる。。
肌の深層部にジリジリと攻めてくる紫外線に戦慄し、私は生まれて始めて日傘がほしいと思ってしまった。
紫外線で悪しきメラニンが生成される我々とは裏腹に、絶好の光合成日和が続く北海道の植物たちは、めちゃくちゃ元気。
あなた(植物)が幸せなら、私も幸せです。
 
 

駐車料金は半額!ただし、送料が何かと高い。

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これはある送料の一覧表ですが、ご覧の通り、高い。東京の倍や。
「送料無料になるには、あといくら分買えばいいのか?」とか考えるようになりました。ネット通販派でしたが、買い物は、出かけたついでにできるだけお店で直接買うようにしています。
一方、駐車料金は土地柄お安く、車文化な札幌は無料駐車場も多くドライブにも適しております。お金で時間を買う民族は都民が大半を占めているのではないかしら。とはいえども、かしこいネット通販の利用法もきっとあるはず。
今後のことも考えて、上手に使いこなしたい。
 
 

毎日が北海道物産展。

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東京で開催される北海道物産展は、いつも大盛況らしい。
一方北海道では、「きたキッチン」という北海道グルメのアンテナショップ(?)も海鮮丼も北海道小麦を使った美味しいパンもいつでも食べられます。
そういえばついこの間まで、アスパラが旬の季節を迎えておりました。甘かったなぁ。
そういえばつい先日、帆立てのバター醤油焼きをいただきました。でっかかったなぁ。
そういえばつい先日、富良野富良野豚カツサンドいただきました。美味かったなぁ。
何もかもが一回り以上デカく、常識を覆すほどに甘く、そして美味い。
東京はどのジャンルでもその業界を極めつつある人の料理をいただけますが、ご当地各所は、その食材の極みをいただけるものなんじゃないかなぁ。
 
今は夕張メロンが市場に出回り始めました。これもまた楽しみ。
さて、次は何食べようか。
 

イベントスペースが、やたらと安い。

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この写真の場所は中島公園駅にある「オノベカ」っていうイベントスペース。
駐車場もそうだけど、家賃も安い。するとレンタルスペースもおのずと1時間1500円とか。やっす。3時間で3600円とか。やっすー!!!
そして札幌地下、大通〜さっぽろ駅間のレンタル料も高校生でも借りられるレベルの安さ(曜日、サイズにもよります)
東京は同時多発的にイベントやっていて、かぶることも多いですが、札幌はまだまだ少ないです。でも、イベント自体には興味のある人も多いのかも?
札幌でイベントやりたい。って方いらっしゃいましたら、仲介しますよ。お手伝いもします。
というか、私がイベントやりたい。
 
 

静かすぎて「しーん」という音が聞こえる。

山奥に住んでいるからか、夜は死ぬほど静かです。
虫の声やカエルの鳴き声、鳥のさえずりが聞こえる時間はいいのですが、窓を占めて自然界からの音がなくなると
マンガのような「しーーーーーーーーーん・・・・」という音が聞こえます。
(北海道は二重窓なのでなおさら音をシャットアウト)
これがしばらく続くと「シーーン」の向こう側の「キーーーーン」という耳鳴りのような音に変わるため、だんだん頭がおかしくなりそうになります。
東京は基本的に眠らないので、交通量も多く、なんだかんだ静かな場所を探す方が大変だったり、逆に静かすぎると一人で歩くのが怖かったりもします。
北海道は眠るのでコンビニが24時間じゃないところもチラホラ。
というわけで、最近は耳が寂しいので常になにかしらの音楽を流しています。だから道民は音楽好きが多いのかなぁ?
全く音がないと、人間不安になるものなんですね・・・。
 
 

札幌は、標準語じゃない。

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誰が言い始めたんだ、札幌が標準語だなんて。
東京にいるときに、何度か指摘されたことがありましたが、自分では全く自覚がありませんでした。
札幌市民は「◯◯でしょー」ってところを「◯◯しょー」って言います。「で」が抜けちゃう。
自分が気にしているからか毎日「しょ」が耳に残る。
「人のふりして我がふり直せ」と言いますが、特に「それ方言だよ!」と言われることもバカにされることもないので染まる一方でございます。
「なまら」も「わや」も「したらね」も使いたい放題。
もう誰もなまりを止める人はいない。。
 
 
 
 
 
他にもいろいろあるんだけど、わかりやすいところはざっくりとこんな感じ。
何と言っても札幌市民は、心がとても繊細な人が多いです。私の気がまわらないことにも気がまわり、感情の機微が汲み取れる人たちです。東京みたいに変な人は絶対的に少ない。
何年も東京にしがみついておりましたが、実際にこっちに越してきて思ったのは、どっちにも良し悪しがあって、住めばミヤコになる。そして環境を変えたところで、じぶんは地球上どこにいても変わらないんだなってこと。
環境も大切だけど、居心地のいい環境は、自分で作っていくものなのだなと、ここ3ヶ月で思ったことでした。
 
 
ということで、札幌に来たいという方は、ぜひとも御一報くださいませませ。
 
次は「札幌に帰ってきて感じたことまとめ」も書きます。
今日はここまで。
あでゅー

魂から声を出せる人は、自分の魂と向き合ってる。②

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さて、前回の続きです。
話し方について。
大嫌いなスピーチをいい感じにする方法でもあります。
(会社でのプレゼンにも役立つかも?)
 
 
 
 
 

◎言葉の出処を上手に使う

心のベクトルが整ったところで、今度は言葉の出処を決める。
人は話すとき、言葉を発するとき、無意識にやってる人がほとんどだけど、実はどこから声を出すかを自分で決められる。これは筋肉の使い方ではなく、声量でも腹式呼吸とか胸式呼吸とかでも副鼻空に響かせるか否かという話でもない。それぞれの部位を上手に使えば、自分の言葉に「目に見えない何か」を上乗せすることができ、相手に想いを届けることができる。
 
その部位とは『頭』『胸』『腹』の3つだった。
 
どんなに秀逸な台本を完璧に暗記したとしても、言葉の出処が違えば、不思議と相手に与える印象も、伝わる気持ちもガラリと変わる。詳しく解説してます。
 
↓↓↓
 
 

テクニカルだけど、なんだかグッとこない「〜しなければならない」の呪縛にかかりやすい「頭」

「上手に話さなければいけない」「◯◯さんにこう思われるかもしれない。」「本当はやりたくないのにやらなきゃいけない」。そう、相当話慣れていない人が頭で話そうとすると、自分と戦ってしまう。ベクトルが内側に向きやすいのだ。
そうすると感情を乗せられる「胸」が窮屈になって、躍動感や感情が伝わらない。(実際呼吸が浅くなったり胸の辺りがぎゅーっと圧迫されてる感覚になるとそうなってる。)
 
それだけじゃない、身体をこわばらせド緊張状態になってしまう。足はガクブル。額と背中に津たる冷や汗。血の巡らない手足。急に痛くなるお腹。
「イメトレ、練習バッチリ!」「普段から人がジャガイモにしか見えない。」「人前でこそパフォーマンスでます。」のような人々は、頭で話しても「上手に」話すことができ、それこそ知的な印象を与えることができる。呪縛はすべて打破したような状態で上手に「頭」で話す人はこんな感じに見えます。
→テクニカル、知的、淡白、論理的な印象に。
 
 

少し砕けたとしても感情のこもる、伝わる「胸」

「胸」で話すと、普段人と話す時とあまり変わらない状態でスピーチできます。
台本があれば、それにちゃんと感情を乗せることができるし、一言一句覚えてなくても、感情に、楽しさの波に身を任せて脱線してでも伝えたいこと、話の流れを「胸」において話していると、結果いい感じになります。ただ注意したいのは、その途中で脱線したことに焦ってしまうと「頭」を使ってしまうので聴衆は「?」になることも。
コツは、歌手とかが歌う時、胸に手を当てて歌う人多いですよね。あれは感情を、気持ちを込めて歌ってるから。あそこに集中して話す感じです。あれができる人はスピーチにも適応できます。自分の足元を意識するのもオススメ(頭に意識が行きにくいから)。
こうやってみんなが大好き友人スピーチの「ほっこり感」や「グッとくる感じ」は胸で乗せることができます。
→温かみ、人間味、躍動感、等身大、親しみやすい印象に。
 
 
 

台本なんてお構いなし!その場の空気に合わせてダイレクトに届ける「腹」

「腹」には、臓器ではありませんが、丹田っていう人間のエネルギー貯蔵庫的な場所があります(ヘソの下のあたり)。スポーツをされる方はそこで体幹を鍛えたりバランスをとったりの練習がメニューに組み込まれることもあります。また、そこは「魂がある=本当の自分がいる場所」という説もあります。瞑想する時には、そこに1点集中する方法もあって「自分は本当はなにがしたいの?」という答えがそこにあったりもします。自分探しの際は、旅に出る必要はない、内側を感じろっちゅーことですね。
 
ちょっと脱線しましたが、そんな「本当の自分」の声を聞くことができると、「腹」から言葉を出すことができます。
この時、言葉は勝手に湧き出てくる。しかも自分でもビックリするくらいにたくさんのことを言葉で表現できる。この時の頭の中はびっくりするほどに、静か。そして尚且つ、相手の深いところに言葉が届き、『いま、私のDNA書き換えられてるんじゃね?』『私、地に足ついてなかったけど、やっと地球に足ついたんじゃね?』『胸の鼓動が止まらないんじゃね?』という感覚にさせることができます。
 
 
三宅洋平さんは、まさにこの「腹」で話してると思いました。人の魂を突き動かすエネルギーたっぷり含んだたくさんの言葉たち。それが生まれるのが「腹」です。
コツは、普段から瞑想なりして、自分の声に耳を傾けることに限ります。
→撃ち抜かれる感じ、強い使命感、芯の貫いた意志、ある意味瞑想状態にさせられる。
 
 
 
以上3つが言葉の出処と、その効果。発信者が話した言葉は、相手の「発信者の言葉の出処」と同じ場所に届く。頭からの声は論理的に分析する頭に、胸からの声は感情を揺さぶり、魂の声は魂を揺さぶられる。相当なひねくれ者か、心を閉ざしてしまっている人は魂レベルじゃないと響かないかもしれない。いずれにしても、それぞれの部位を意識して伝えることは、ただ言葉を発するよりも説得力や伝えるという能力は格段に増すと思います。
 
 

大丈夫、ちゃんと伝わってる。

前回も書きましたが、私の経験上、相手の声を聞いている人には、「緊張してる」ってことも、ちゃんと伝わってました。
色々書いてしまいましたが、「上手に話さなきゃ」はナンセンスということだけはわかっていただけましたでしょうか。これは仕事だろうと、会話だろうと同じこと。
上手く話せるかどうかは練習と場数と度胸。みんなが期待しているのは、上手に話せるかどうかじゃない、みんな聞いているということはあなたからの何かを受け取る体制ができてるってこと。上手く話せなくても伝わってることに安心できれば、きっとあなたの軸は定まります。
 
 
せっかくのステージ、自分の持ってるものをしっかり表現したいもんですね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
余談ですが、昔、毎日がオーディションだった時に必ず「自己PRをお願いします。」と言われていました。応募者多数の激戦にも関わらず、自己PRとは関係のない「ここ最近のラーメン事情」について熱く語った時になぜか合格しました。というか関係のないことをとにかく熱く語ると合格するというジンクスまで自分の中にあったので、いつか、またオーディションなり面接なりを受けるような時があれば、恐れず熱く語ってみようと思います。
 
「ここ最近の札幌ソフトクリーム事情」について。

『地元に帰る=敗者』な考えに縛られていたんだぜ。

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 ※これは過去記事ですが、誤って削除してしまったため、リライトしました。
 
 
これは、東京に来て3年が経った頃の話。
あの頃は、とにかく尖って、誰かとの違いを「自分」だと思って、さらにそれが「正しい」と自分で信じたくて、なんとかして自分を維持しようとしていた。地元に帰るという選択肢に迫られた時のこと。
 
 

自分を認めていただきたく、地元を離れる。

20年間住んできた地元を離れるという決心と、その許可を得るのは、意外と簡単だった。「やりたいことがある」「あの場所に憧れている」「外を景色を見てみたい」「ただそういう気分」でも、「一花咲かせてやる」とでも地元を離れる理由になる。
私の場合は、自分というアイデンティティを確かめたいっていう気持ちが半分と、あとは母親への「立派な人間になってやんよ!!」っていう宣戦布告だったのだけど。
そして適当に考えた東京に行きたい理由も「日本を知りたい」という適当なもので両親から「行ってくれば?」と許可が下りました。
 
実際にキャリーバッグ1つで上京してから2日で住む家を探し、「一人で東京に出てくるなんてすごいね」という人は意外と多くてびっくりしたのを覚えてる。東京の8割くらいが自分と同じ単身上陸者だと思っていたから。だから、そんなのはハードルでもなんでもなかったし、評価に値するもの?とも思ってた。あの頃の私はとにかく自分を確立するのに躍起になっていたから。
 
 

「自分が幸せなら、それでいい」という寛ぎながら生きる方法を知らなかった。

地元を離れてどんな生活を送ろうが、どんな幸せを勝ち取ろうが、どんなハプニングが待ち受けていようが自分の人生でしかないのに、ベクトルが一向にお外な私は、なにをするにも、周りの評価が気になってしょうがない。私が見ている現実の中で、自分の価値は一向に見つからなかった。 
 
最近話題の本、永田サビさん『さびしすぎてレズ風俗に 行きましたレポ』を読んで共感出来ることがたくさんある。私はレズ風俗にこそ行かなかったものの、「人肌が恋しい!」とか、「とにかく抱きしめてくれ!」とかの気持ちは痛いほどわかる。その辺は当時の彼氏にしてもらったけど、やっぱりなんか幸せじゃなかったなぁ。
 
さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ

さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ

 

 

 
 
『◯◯歳で◯◯ができて、いま◯◯をしている私』が当時の自分の指標だった。それが自分が存在する理由だと思った。というか、自分が存在する理由が欲しかったんだ。
私はそれに縋り付くように、生きていた。だから、否定されると途端に脆く、耳を塞いで拒絶し、この世界の中で「自分」という人間を「私はここだ!」と、とにかく言いたくて、それを認めてほしかった。
 
本当は「誰でもいいから、何もない自分を愛してくれ」と、懇願している気持ちの裏返しだったんだけど。(この時は誰でもよくなくて、母親にだったけど)
 
 
 
だから、誰かが地元に帰る選択をした時、私はその人に「敗者」の烙印を押していたんだ。「まだ、やれるはずだろ」って思っていた。私は、多様性の「た」の字もなく、自分に共感してくれる人、賛同してくれる人しか、仲間だとは思えなかった。本当はいつも、自分の心の休息を求めていたのに、自分の正しさをただ誇示したくて崖っぷちでいつも「まだ、やれるはずだろ」と、そう叫んでいたんだ。自分をすり減らして生きる私は、本当は帰りたいのに「帰るわけにはいかない」といって、力尽きてしまったんだけど。
 
 
 
もしも誰かがあの頃の自分に「この世は、自分の心が映し出す世界なんだよ」って教えてくれたら何かが違ったのかも。とも思うけど、きっとあの頃の私はそんなことを聞いても意味を理解できなかったかもしれない。
 
東京に辿り着いて人生を漂流して7年、私はコロンブスみたいに誰もが認める世紀の大発見をすることはできなかったけど、わたしの欲しかった「愛」は自分の中にあったっていう、自分史上最高の発見はすることができた。
 
自分の中に愛があり、自分にOKを出せるようになって地元に帰ってきたいま、私はあの頃よりも何も持っていないけど、こんなにも幸せで穏やか。
空が晴れていて、空気がおいしくて、今日もまた生きていると実感できるだけで「ありがとう」っていう幸せのハードルがぐんと下がった。
 
 
 
 
自分を愛することを知った今、私はあの頃の自分を抱きしめてあげたい。
「だいじょうぶだよ」って。
 
そして、過去の自分みたいな人が目の前に現れたら、そうしてあげたい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ちなみに、いまでは何も持っていない私でございますが、「すべての原因が自分の外にある」と思い込んでいた私は、なにかあればすぐに「環境が悪いのかもしれない」と、引っ越しをしていました。何度も引っ越しを繰り返すたびに不動産屋に足を運んだ私は、いい部屋選びのノウハウだけはかなり得られた気がするので、”ヤドカリ女”の称号だけはいただきたいところ。もし、他になにかいただけそうならご一報ください。
 
バッジにして胸につけて生活します。
 
 
 

魂から声を出せる人は、自分の魂と向き合ってる。①

誰とも話をしないで終わりそうな一日の最後には、誰かに電話しようかどうか迷う。『きっとあの人は今頃…』とか思いながら、電話帳から友人達の名前を眺める。用もないのに電話を掛けて「どうしたの?」って言われたところで特に何もないんだけど、声にはその人の健康状態も心理状態も全部現れるから『いや、ただ声が聞きたかっただけ。』っていうのは、乾きそうな心を埋めるためだけじゃなくて、デジタルの文字だけじゃわからないあなたの情報がもらえる。元気な声を聴けると、ほっとすることもある。
 
 
 
 
真面目に『今日が、誰とも話さずに終わりそうなんだ。』と伝えると、だいたい心配されてしまうんだけど。
 
 
 
 
 
 

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いま、絶賛選挙フェス中の三宅洋平さんのスピーチが話題になっている。あの演説は何度見ても「ハッ!」とさせられる。彼の言葉は「私もなにかしたいんじゃなかったか?」と、自分の中の忘れていた何かを思い出させてくれる。その声は今、海を越え、世界に届き拡大し続けてる。
 
コミュニケーション能力とは、『自分の話を聞いてくれた人が、その後とった行動で測るもの。』と、何かで読んだ気がする。だけどあれだけ人を動かすことができるのは、もはやコミュニケーション云々を超えて『光が、希望がそこにあるから。』と言わざるを得ない。そして私たちは、その光を、希望を信じてみたくなるんだ。
 
 
 
 
そんな今日のテーマは『話し方について』
三宅洋平さんのように魂を揺さぶる話し方を習得するにはどうしたらいいのかを、ステージの上で何度も「ひぃッ!!」となってしまった私が分析してみました。
 

人前に立つことのヒヤヒヤ感

私は、人前で話すのがめちゃくちゃ苦手だった。というか、今もあんまり得意じゃない。マイクを持って人前で話す仕事をしていたのに、クォリティのムラといったらなかった。自分で上手く話せたなと思える日の方が、少なかったかもしれない。そして自分で望んでそこに立っていたくせに、「私はどうしてここに立っているのだろうか」と自問自答したり、「今から誰か変わってくれないだろうか」「今から全身に蕁麻疹が出て誰かが家まで運んでくれないだろうか」と、時に逃げ出したくなることも少なくなかった。そんな時は当たり前だけど、決まって上手く話すこと、すなわち「誰かに何かを伝えること」なんてできないんだ。
 
その一方で、私の話を聞いていくうちに、死んだ魚の目をしてる人の目に光が灯っていく瞬間も、後ろを向いて作業をしマイクで話す私の話を聞いてくれなかったあの人を振り向かせ、棒立ちにさせたこともあった。そういう人は、終わった後に、必ず熱く声をかけてくれる。あの時の快感といったらない。人の価値観が変わる瞬間、誰かの魂に声を届けることができた時に「あぁ、私はいま生きている。」と実感し、それに快感さえも覚えた。
 
そんな話していて「伝わらない時」と、「誰かの心を揺さぶることができる時」とは、何が違うのか。
一体私の中で、何が起きているの?
マイクを持って話すことに快感を覚えてしまった私は、「どうかあの快感をもう一度ください!」と、自分の身体から言葉の出処を探ることにした。
 
すると、ある法則が存在することがわかったんだ。
 
あの頃の自分に教えてあげたい!と思いながら書きます。
 
 
 
 

◎まずは、心のベクトルを整える

よく、「聴衆をジャガイモだと思え」とか「レスポンスのいい特定の人に向かって話しなさい」とかいうけれど、私は人がジャガイモやカボチャに見えたことも、ステージ上で寄り目したとしても100人が5人に見えたこともない。あまりの人数にドン引いて、「人が蟻のようだ!(ラピュタ)」と思ったことはあるけれど。
 
人が緊張しているときは、たいてい心のベクトルが内側(自分)に向いています。
「上手に話さなければいけない」「失敗したら◯◯さんにこう思われるかもしれない。」「本当はやりたくないのにやらなきゃいけない」・・・
こんな自分のことで頭がいっぱいな状態では、私が発する言葉は音でしかなく、どんなに大きな声で言っても、相手には必死に覚えた原稿が、何も伝わらない。そのかわり「周り見えてるようで全く見えないとっても非常事態にある私が、なにかを伝えようとしている」っていう意志状態だけは良いんだか悪いんだかわからないけど、例外なしにみんなに伝わる。
 
心のベクトルが内側に向いているときは、聴衆は置いてけぼりになり、独り言を言ってるのとあまり変わらない。そもそも、どう見られるかなんてある程度練習しないとコントロールできないし、結局のところ、自分の印象はこちら側は決められない。「自分がどう見えるか」を気にしながらでも完璧な自分をもれなく伝えられるのは、たぶん世界でもキムタクトム・クルーズくらいだと思ってる。だから気にしなくていいよ。気にしたところで、せっかくの出番が台無し。
 
だからさっきも書いたけど、いくら噛もうが滑らかでなかろうが「自分がどういう状態でどんな気持ちで話しているか」って状態と意思だけはちゃんと相手に伝わる。「あの人の話、あまりまとまってなかったけど、なんだか心は伝わってきたなぁ(ほっこり)。」みたいな経験はきっとあるはず。
 
つまり「上手く話す」=滑舌がいい、滑らかである、ユニークであるだけではない決してない。(これは、どちらかというと関心するポイント)
実際は、結婚式のスピーチとかが特にそうだけど、話してる内容(話の構成も大事だけど)よりも、上手か下手かよりも、「自分の伝えたいことに、どんな気持ちを乗せて話しているのか」こそ、聴衆が求めてること(なにかしら感動するポイント)だし、伝えたいことなんじゃないのかな。感情の乗ってない言葉に、人は感動できないんだなぁ。感動って、泣けるってことだけじゃなくて、心を動かすってこと。
 
この「上手に」話せなくても「ちゃんと伝えることはできている」ってことを知ってるだけでも、人は結構安心して話せます。結果的に、リラックスできるので、「上手に」話せたりもします。
 
 
まずは、どうやったって相手には意志と状態が伝わるので、安心してベクトルを外に向けて伝えたいことに集中しましょう。
 
 
 

◎言葉の出処を上手に使う

心のベクトルが整ったところで、今度は言葉の出処を決める。
人は話すとき、言葉を発するとき、無意識にやってる人がほとんどだけど、実はどこから声を出すかを自分で決められる。これは筋肉の使い方ではなく、声量でも腹式呼吸とか胸式呼吸とかでも副鼻空に響かせるか否かという話でもない。それぞれの部位を上手に使えば、自分の言葉に「目に見えない何か」を上乗せすることができ、相手に想いを届けることができる。
 
その部位とは『頭』『胸』『腹』の3つだった。
 
 
 
つづく。
 
 

『言葉に負けるな。』

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北海道の夏が、やっと来た気がする。
道民はなぜこんなに薄着なのか。体温なんてそんな他の県民と変わらないだろうに。日本で一番寒い離島なのにほとんど女子高生は氷点下でもジャージやストッキングを履かない。真冬に足を真っ赤にして歩いてる姿は、もはや我慢大会。女子高生だけじゃない。明らかに日本の四季とは少しずれているのにも関わらず、ファッション誌に合わせてオシャレを楽しむ女たちと、季節感のないホットな格好をする私とで、あらゆる勝敗は決まっている気がする。
 
 
 
  
 
女より、若さより、健康が1番だよ。(ボソッ)
 
 
 
 
 
 
私は時々ブログを書きながら、「この言葉の使い方は合ってるだろうか?」と思ったりする。時々しか思わないから、きっと間違えてる表現はたくさんあって画面の向こう側のあなたも、赤でチェックをいれてるかもしれない。別に入稿するわけでもないし、神経質になると私がブログから離れていくので流れに任せている。・・・つもり。
 
 
普段から肩の力を抜いて言葉を使ってるはずなのに、つい先日、ある知人2人それぞれに私がお悩み相談を聞いてもらっていたところ、連続で「言葉に負けるな。」と同じ言葉を言われた。連続で言われたことは「ア・イ・シ・テ・ルのサイン」じゃなくて「タ・ダ・ゴ・ト・ジャ・ナ・イのサイン」だと受け取ったので、どういう意味だかウンウンと考えてみた。
 
私が悩みを新たに生み出したときは大抵、仕分け作業をしたあとに今の自分の中にそれを処理する手立てがない場合は、どこかで「言葉の定義」を考えるフローに必ず入る。自身の恋愛の悩みなら、目の前に起きた出来事を通り越して「そもそも恋愛って?」「そもそも愛って?」「そもそも責任って?」・・・
 
「そもそも」っていう根源を辿ることが、必ず私を更に悩ませる。私がやっちまったことから、「すいませんでした、もうしません」と反省して、「じゃあこれを期に正しく学びましょうね」と頭の中の誰かがいう。すると私も私で、その言葉の重みをつい肌で感じたくなってしまう。
 
そして結局、悩み始めた時よりも重力を強く感じ、悩みが悩みを生み続けることになる。
 
 

目の前で起きた出来事よりも、「言葉の正しさ」だった私の頭。

人間の悩みの9割は、対人関係からしか生まれない。と、何かで読んだ。世界に一人だけになったら、今の自分の悩みの9割は消えてなくなる。「さみしい」っていう悩みが、もしかしたら生まれるかもしれないけど。自身が感じたことを伝える手立てとして与えられた言葉は、自分以外の誰かがいないと一切機能しないのに、気づけば私はそれに埋もれていた。
 
言葉遊びは大好きだ。言葉が、話が面白い人には、一段と惹かれてしまう。もちろんお決まりの嫉妬を経て、最後は結局リスペクト。
そうそう、昔お笑い芸人の「ネタ帳」のような「素敵な言い回し帳」みたいなのをつけていた。結局すぐ飽きて3ページくらいで終わってしまったけれど、そこには私の感性をくすぐる言葉たちでいっぱいだった。だから私は、決して言葉を軽んじていたわけじゃない。一番大切な目の前で起きたことよりも、言葉を重んじてしまっていた。気付かないうちに「言葉の正しさ」に囚われていたんだ。
 
 
ただ、思い当たる節はなくもない。私はライターをやり始めたときに、私は原稿を赤ペンで真っ赤にされて返されたことがある。「形容詞って知ってる?」「副詞はわかるかな?」「この言葉の意味は?」と拷問のように、私が書いたそれについて聞かれた。小学生で習う日本語の文法を聞かれ、恥ずかしくて、死にそうだったのを覚えている。そう、編集者にそんなことを言わせてしまうくらい、あの頃の私はまじで文章が書けなかったのである。正しさを追求し始めたのも、たぶんその頃。(お金もらって書いていたから、しょうがないんだけど。というか、あの拷問のおかげで少しは文章書けるようになったので、今ではほんとに感謝してます。)
 
 
あれから私は「正しさ」が大嫌いな社会不適合者のくせに、言葉の「正しさ」にはとことん固執するようになった。天から誰かが見ていたら「おい、お前は適合したいのかしたくないのか、どっちなんだよ。」とつっこまれてしまいそう。いや、現に「言葉に負けるな」と突っ込まれたのだけど。
 
 

言葉の意味なんか、どうでもいい。目の前にいるあんたが、一番大事だよ。

結局、辞書に載った言葉の意味なんて、全然腑に落ちない。そして、誰の心にも響かない。小説『舟を編む』みたいに言葉にロマンを感じることはあっても。あれは「言葉」を題材にした話だけど、あの小説で一番伝えたいことは、いかに「正しく表現できるか」ではなく、「いかに気持ちが伝わるか」ってことだったんじゃないかな。脱皮した今でこそ思うけど、あの「言葉」を題材にした小説こそ、「言葉に負けるな」って言ってる気がするんだ。
 
 
言葉とは、とても便利なものだけど、『どうやったら、自分と、目の前の人を大切に扱うことができるだろうか。』っていうことを心にいつも置いておけば、きっとその気持ちは伝わるし、悩みも解決するんじゃないか。心はきっと、もっと晴れていく。
 
あのふたりが私に言ってくれた『言葉に負けるな』っていうその意味は、きっとこういうことなんだろうね。
 
 
 
言葉の呪縛が、やっと解けた。
今日は気持ち良く脱皮しました。
 
あの言葉を言ってくれたお二人よ、
大切なことに気付かせてくれて、ありがとう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ちなみに、最近「快挙」という言葉がとても爽快すぎてマイブームです。音の響きがスカッとしていて、使っている漢字もアラ素敵。そんな素敵な言葉のタイトルにつられてあらすじも読まなぬまま買った小説『快挙』は結婚がテーマでしたが、結婚の「ケ」の字も見えない私にとってのそれは、快挙でもなんでもない。
 
ただの暴挙だったよ。

プロフィール書いてみた。

 
はじめましての人も、はじめましてじゃない人も、こんにちは。
kanonです。
 
旧ブログ「私の脱皮した恥ずかしい皮たち」は、約7年過ごした東京生活を終えることを機に「自分の今までの愚行を清算しよう!」とひたすらに「やっちまったこと」を晒すことを目的に自分のために書いておりましたが、だんだん楽しくなってきたので、本格的にブログを始動しました。
 
もっと言うと、無性に文章が書きたくなってネタについて考えていたら、頭の中の疑問をひたすらに「なぜだ!なぜだ!」と掘りまくるための「なぜだ!ノート」に、「恥ずかしかったこと」なら山盛りあるな、と。『今辛いことは、時間が経てば全てネタ。』という、我がブラザーと杯を交わした時に聞いた言葉が、このブログのもとになってます。
 
 
ざっくりですが、プロフィールはこちらです。
 
   ↓↓↓
 
 

経歴

北海道、平成に切り替わる前に生まれた♀。
覚えてないけど、幼少期はどんなに迷子になっても、最後は自力で泣きながら家まで戻ってきたらしい。「港を歩けば漁師が余ったカニをくれる」というレアな環境ですくすくと育つ。
 
 
生まれて此の方、たくさん体験した中で続いた習い事は水泳だけ。中学に上がる頃に「選手にならないか?」とコーチに勧誘されるも、『こんな逆三角マッチョにはなりたくない。』と思い、約6年で水中運動の幕を閉じる。
 
趣味嗜好が『外で遊ぶ<テレビゲーム<食べる』でブクブクに太っていったが、ある日突然『外で遊ぶ<テレビゲーム<食べる<恋愛』になり、空気を抜いたように痩せていった。
 
『兄が怒られてることは、やってはいけないこと』と末っ子ならではの危険回避能力で、そこそこいい子にはなれたが「自分がしたいこと」は全くわからず敷かれたレールにひたすら乗り続ける。
 
そんな21歳某日、「やりたいことがないなんて信じらんない」というおかんの言葉にショックを受け、『おかんに認められたい。』という思いでキャリーバック1つで東京へ上陸。
最初はラジオDJを目指してみるも、元々やりたいこともない豆腐の意志の私は右へ左へと東京の荒波に揉まれに揉まれ、『言葉にすればだいたい叶う街、東京』で、その時々で楽しそうな話したり書いたり売り込んだりするお仕事を経て、結果的に絶頂と絶望を見た。
 
 
◎25歳で鬱!になり、脱☆鬱も自力でする。
心と身体のベクトルが別方向を向き始め、車裂き状態に陥ったのちに人生ゲームでいう、「ふりだしに戻る」に止まって、強制帰郷。
「これだけドン底に不幸になることができるなら、最高に幸せになってやる」と胸に誓い、100冊くらいの本を読んで今までの「ボタンの掛け違い」を徹底的に洗出し再び東京へ。
幸せになるためのステップとして「もしや世の中すべて愛なのかも?」「愛の受け渡しが下手だから不幸なのかも?」「愛は地球を救うのかも?」とバカみたいに「愛」について考えていたら、2015年4月某日覚醒(第六感開花)してしまう。世にも奇妙な体験をしまくり「今まで見えなかったのに、この年になって開くとかマジでつらたん」と思っていたが、第六感のスイッチの切り方を覚えてからは、わりとノーマルな生活をする微弱なサイキック女に。
 
そんな東京生活7年の間に学んだことは、
「生きるとは、愛情の受け渡し。」
「人生、良くも悪くも思い通り。」
「愛はどうやらマジで地球を救うらしい。」
 
つまり、『人生すべて”愛”なんじゃない?』っていう結論へ至り、東京生活7年の幕を閉じて再び帰郷。
 
現在に至る。 
 
 

性格

◎真面目 『なぜだ!ノート』という頭の中を整理するノートを作り、身に起こるさまざまな「?」なことをひたすらに掘りまくっていました。「問題解決できたなら、もうよくね?」っていう思考ができず、「なぜ解決できたのか」と解析し始めるほどだった。今は、「もう、よくね?」と諦めることを学び、「程よいところで諦める」を目指して脱力の日々。
 
◎感覚人間 「今だ!」と思えば今やり、「今だ!」っていうのがこない時は無理にやらないのも美学。今日の予定はだいたい今日決める。物事には最高のタイミングがある。と、信じている。
 
◎末っ子気質 観察→模倣→厚かましいの三拍子。甘えん坊で気分屋なところは大人の女になるために矯正中。「あんたは要領がいいね」と言われて育ったけれど、最近は自分の要領の悪さに日々モヤモヤしてます。ブログのカスタマイズに手を焼く日々。
 
 
 

趣味

◎映画「ヘアスプレー」「アバウトタイム」「かぐや姫の物語」「時をかける少女」「サマーウォーズ」「白い嵐」
◎アニメ 新川直司の「四月の君は嘘」、岸本斉史の「NARUTO」、浦沢直樹の「Happy!」
◎陶芸 自分の作った食器で食べる飯は3割増しで、まいう。
◎読書 1ヶ月で10冊くらい読んでる。身になってるかどうかは、別。
◎観葉植物 相棒はセンガクガジュマル。愛おしくてしょうがない。食べちゃいたい。
◎旅行 踏み入れてない土地はあと13都道府県。そろそろ海外に行きたい。
 
最近は、絵を描きたい願望がハンパない。
 
 

座右の銘

◎「地に足つける」・・・人生、これに尽きます。まじで。痛いほど体験してきたやばいことは、これができていなかったから。足元浮くと、あらゆるものに掬われます。
 
◎「思い立ったが吉日』・・・やるなら、行くなら、今日やらないと、忘れちゃうでしょ。
 
◎「人生、考えてることしか現実には起こらない。」・・・「こうなったらやだな」も「こうなったらうれしいな」もだいたい叶ってきた。自分が学ぶために必要としている人物がわりとすぐに現れる。どうやらウォルト・ディズニーの言っていたことは本当だったなぁ。
 
◎『心と身体とお金の健康の維持』・・・この3つのバランスが取れてないと、人間どこからか崩れていきます。いつもこのバランスがいい女でいたい。
 
 
 

ブログへの想い。

 
私は一度、自分の人生の主人公から降りました。
惨事を終えた今、自分で勝手に構えたファイティングポーズを、やっと下ろすことができた。
しんどくてしょうがないあの頃に「こんな人が近くにいれば。」と思っていた理想の人間には今、やっとなれた気がします。
 
そして、もう一度主人公に戻り、人生ゲームを再開してから「あの頃は時間を無駄にしたなぁ」って思うこともあったけど、つらいこともかなしいこともうれしいことも全て、私には必要だったこと。全部丸めてありがとうだ。
「あの頃の自分に手を差し伸べられたら本望」という感じで、元気でPUNKな感じで書きたい。後ろを振り向かなくなった今、すべてポップなネタとして感じに張り出していきます。

良くも悪くも思い通りにしかならないこの世の中、これからも子供のように、無邪気に、楽しんで生きていきたい。
 
 
 
 
合掌
 

なぜ、いつも正義は勝つのか真剣に考えてみた。

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ドラえもんアンパンマンも、強力な安定感がある。
ドラえもんの本当の敵は映画でしか登場しないし、映画「鉄人兵団」の時はまじでやられちゃうかと思ったし「ブリキの迷宮」はまじでこのまま出られないと思ったけど、毎度毎度必ず誰かが助けてくれた。
アンパンマンは最初に◯◯マンか◯◯丼が出てきた時点で見なくてもオチがわかってしまう。(どうせそれ食べて回復するんでしょ。最後にみんなで食べるんでしょ。)
 
安定感があるのはサザエさんも、ちびまる子ちゃんも同じだが、悪役(?)が花沢さんや藤木くん程度しかいないため、次回予告で『宇宙人の襲撃!』とかかなり振り切ったことしないと、あの平和な日常に激震を起こす日は決して訪れない。
 
ジャンプもサンデーも大抵が多少犠牲が出るものの、敵のいるマンガの最後は正義が勝ってしまう。
「どうせ勝つんでしょ」と思わせないためのけたたましい逆境の演出に、もしかしたら「こりゃ今度こそやばたん」と幾度となく惑わされた。その逆境具合で絶望感を味わうが、最後はだいたい「よかったねぇ。(ほっこり)」「よかったねぇ(涙)」「よかったねぇ!!」という安堵感を超える、満足感。そのよかったね具合がその作品の評価になる。
 
 
 
 

なぜいつも正義は勝ってしまうのか。

「正義は必ず勝つ」なんてそんな法則が世に存在するのであれば、毎回とんでもない逆境を考えるマンガ家を苦しめるだけじゃないか。とか言ってる私も、「悪」に勝って欲しいわけじゃない。でもなんで正義が必ず勝つのかがわからなかったので、「なぜだ!ノート」を開いた。
 
 
教育のため?
世に希望を与えるため?
夢を忘れないため?
少年誌の決まり?
 
 
スターウォーズNARUTOを見たときに、その理由が明らかになった。
なぜ悪は、いつも負けてしまうのか。
悪の負けパターンをまとめた。
 
 
 

「悪」は冷静そうに見えて超感情的

魂を売る代わりに、強大な力を手に入れる。
でも売っちゃうのって、過去の恐怖心が、己の弱い心が、そうさせちゃう。
真っ当に強くなることよりも、目的のためならって、近道っぽい悪からの手招きに応じてしまう。
そしてダークな感情を活力にして(さらに悪の組織がそれを利用して)、悪に染まってく。
 
そんなんじゃ大事なものを守れないのにね!
 
 

隙が出る

「脇が甘い!写真がブレる!!」と、見習いカメラマンなら怒られてしまうだろう。
脇に隙ができた時点で、いい仕事はできない。
それとまた同じで、感情的になると攻撃も大振りになって隙が出て、そこを狙われます。もう、自分も相手も見えてない。
そして大振りの際に「死ねぇ!!」て言うけど、「待てぇ!!」と同じくらい待たないし、死なない。
ダークな感情でいっぱいになると、周りが見えずに隙を見せて(脇を開いて)しまいます。
 
脇は急所ですからねぇ・・・。
 
 

正義が超冷静。

一緒に熱くなっていたかと思いきや、途中でだいたい瞑想状態になる。
「あれ・・・ここは?」「俺は・・・。」と、会心の一撃を喰らって、気を失っているうちに。
その瞬間、素敵なお告げをいただいて目が覚めた瞬間からブッダ並に冷静になり、悟りを開き、相手の動きが、敵の急所が、めっちゃ見える!!
 
 
 
悪「ぐわあああああ・・・・っ!!!」
 
 
 
 
 

結論

こうやってだいたい悪はやられてしまう。
ルーク・スカイウォーカーダースベーダーをぶっ飛ばす時に、NARUTOが悪いやつ倒したり、仲間を助ける度に、教えてくれました。
 
「悪」はとんでもない強い力を手に入れることができる。悪には悪なりに「守りたいもの」があったのかもしれない。でも、心が乱れた悪は、至極冷静な正義には勝てないんだ。
 
そして、正義は結局、エネルギー源が「愛」だから、負けないんだねぇ。
 
 
愛はいつだって、地球を救う。
 
愛をもとに、生きていたい。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ちなみに、私の中のアンハッピーエンドの代表作として映画『クローバーフィールド』があります。当時、映画館でアルバイトをしていてそれの上映後に清掃して回っていたら、ある席に入場チケットで2つ鶴が折ってありました。見ていた人はきっと、
 
暗闇で折り紙に夢中になるほど、つまらなかったんでしょうね。

オーディオは、セックスと同じくらい気持ちよかったんだぜ。

 

 

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わたくし、ご縁があって、オーディオの仕事を数年間させていただいてました。 

 

  

いつの日か参加させていただいた、某オーディオ雑誌のイヤフォン聴き比べ企画が、今でも忘れられない。編集者がピックアップした今話題のイヤフォン80本を、それぞれどんな音するのか、それがどんな音楽と相性がいいのか聴きまくり、点数とコメントをひたすら付けるその企画は、まじで頭がおかしくなりそうだった。

時間も限られてるし曲の冒頭30秒くらいしか聴かないから、それを80回×ジャンル別3曲分やると、人間不思議と「小鳥のさえずり」とか「吹き抜ける風の音」とか「アスファルトがタイヤを削る音」でさえ、とてつもなく恋しくなる。

 

参加メンバーのオーディオ評論家さんの「このイヤフォン、なかなかよかったですよ。」という試聴中のレコメンドは、自分の感性を鈍らせかねないので、そのまま右から左。

「敵は自分自身のみ!」という気合と根性でベクトルを内側に向けていた。。

 

そんな音楽どうのこうのではなく、「音の質」の世界。

私が現役のときにこんなこと書いたら確実にやばかったんじゃないかって思うけど、今なら言える。なんであれだけオーディオやってたかっていうとね、

 オーディオは、セックスと同じくらい気持ち良かったんだよ。

 

えっ、まだ知らないんですか?あの快感を。

「えっ、音ってそんなに違うんですか?」と思った方に「えっ、音の聴き比べしたことないんですか?」と嫌がらせのようにそのまま質問で返したい。そして私がオーディオやってたのも、最初からその気持ち良さを知ってたからやり始めたんじゃない。別に音楽やってたわけじゃないし絶対音感もない。音楽聴くには付属のイヤフォンで十分で、始めた当初は音の違いなんてこれっぽっちもわからなかったんだ。ただ、わからないなりにオーディオやってるうちに「こりゃ、まじで耳やばたん」になっていった。

  

そもそも音質の違いは、聴き比べしないとあまりわからない。それは「聴き比べないとわからないくらい微細な違いしかない」ということではない。音質なんてこだわったことのなかった私から言わせていただくと「明らかな音の違いでさえ、聴き比べしないとわからないくらい、現代人は耳を使っていない。」というのが、正解。

 

 

■五感の中でも、最も等閑にされてる聴覚

ノイズやゲーム、劣化した音、表現力の乏しい音響機器に慣れてしまった耳は、生まれてこのかた、ほとんどが快感を覚える音質に触れていない。耳の快感を覚えてないのに「音楽めっちゃ聞くよ」とか「音楽フリーク」とか「NO MUSIC, NO LIFE!」とかって言っちゃってるあなたも、私から言わせれば、あなたのお耳はまだ初体験すらしていない、耳チェリー野郎です。

 

ではなぜ、数百万円のアンプが、なぜ一千万円以上のスピーカーが世にいくつも存在し、それを実際に買う人がいるのかがわかるかい。それは、なにものにも代え難いセックスに似たお耳の快感が、あの箱の中から溢れ出てくるから。

 

私も最初は、数百万のシステム使ってる人を見て、ヘッドフォン30個とか持ってる人見て「この人達まじでバカなんじゃないの」って思った。でもね、聴いてその価値を知っていくうちに不思議と「これで300万円?お手頃ですね。」ってなっていった。

 

あの箱から醸し出される聴覚を最高の快感に陥らせる音は、まさにセックスと同じくらい気持ちいい。金銭感覚を麻痺させるくらい、音の魅力は想像以上。

 

そして、その気持ちよさを知っている私は、だいぶ人生楽しんでしまったなって思う。

 

 

 

あなたはまだ音楽を「聴いてない」。

例えば、あなたは食に、香りに、いや、あなたの視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚を刺激するものたちをどれだけ知っていますか。「この店のこの味が!」「ここのブランドの香水が!」と、あなたが数多くの中からあなたの五感が震える「これが気持ちいい」を、きっと生まれた瞬間から今日に至るまでに養ってきたはず。

 

なのに「音楽大好きです!」って人はテンコ盛りでいるけど、「音質にもこだわってます!」って人にはなかなか出くわさない。それは「写真は大好きですけど画質はどうでもいいです!」って言ってるようなもの。味がすればいいとか、見えればいいとか、そうじゃない。人は、五感のセンサーが反応すると、気持ちよくて、心を揺さぶるから、「脳みそからなんか出てる!」みたいな”快楽”を感じるから、人はそれがやめられない。

 

それなのにあなたはまだ、「音が聞ければいい」という最低ラインで音楽を聞いている。大好きな音楽を今の環境で聴いて、その曲が、そのアーティストが好きな理由は、歌詞の内容かい?メロディの心地よさかい?ボーカルの声質かい?

 

音楽のセンスとか選曲の問題じゃないんだよ。それで音楽聴いてるつもりになってるなら、残念ながらあなたはまだ、ただの音楽好きの変態耳チェリー野郎です。

 

 

 

 

オーディオショップは敷居が高い?

そんなことない。むしろ買わなくていい。普段着でいいよ。買い物帰りにでも、耳の快楽を体験しておいで。音の感想もいらない。

 

美しいものを見たときの「きれい!」

美味いもん食べたときの「おいしい!」

いいニオイを嗅いだときの「いい香り!」

セックスしたときの「気持ちいい!」

 

そして、私が聴いたいい音の感想は「いい音!」ではなかった。

 

これもまたセックスと同様「気持ちいい!!」だったんだよ。

 

 

 

聴いた後に「気持ちいい音ですね」って言えれば大丈夫。聞いたあとにロクな感想も言えなくて「こいつ何も知らないんだな」って恥をかかすような空気出す店員なんていないし、そんなんプロじゃない。(でもマナーは守ってね)

 

 

「やっぱりライブが一番!」ってやつほど、オーディオ聴きに行くべし。

目の前で大好きなアーティストが歌ってくれるスペシャルな時間がライブやコンサートなら、オーディオはそのスペシャルな時間をいつどこにいても作り出すことができる魔法の箱。最強のオーディオシステムを前に思わず目を閉じて聴き入ってしまった経験がないなら、何度も言いますが、あなたはムッツリスケべの変態耳チェリー野郎です。

 

 

 

単純に、ただ体験しに行くだけでいい。手ぶらでOKだ。好きな曲があるなら持ち込みでもいい。クラシックなんて聴かなくていい。お店にもJPOPから映画のサントラまで良い音源がたくさん揃ってる。

なに聴いたっていいんだよ。私だってこの前300万円のシステムでずっと宇多田ヒカルとアナ雪(English ver.)を聴いていた。

 

体験するシステムを下調べする必要はない。大きめのオーディオショップで「ボーカルが最高にエロいの聴かせてください。」でオッケーだ。それが言えないなら「ボーカルがウェッティなやつ聴かせてください。」と言おう。「ギターがやばいやつ」でも「低音いい感じのやつ」でも「この曲がいい感じに聴きたい」でも「オーディオ屋のこれだけは聴いとけを聴かせて。」でもいい。

 

 

 趣味はなんのためにあるか、深く考えたことがある。それは自分を形成するためのものじゃない。それは自分のご機嫌取りのため、自分だけの「快」のためじゃないのかな。

良い音の体験は、向こう側から絶対に来てくれない。あなたが生き続けても、そこに足を運ばなければ、一生その快感を知らずに、お耳の快楽を未体験のまま、この世からドロップアウト

 

せっかく人間で生まれてきたのに、本当にそれでいいの?

もしかして、ムッツリスケベのド変態耳チェリー野郎のまま、逝くつもり?

ハードルは低い。ただ聴かせてもらうだけ。あなたの耳をくすぐる音は、いつでも用意されている。 

お耳のチェリーは、あなたがそこへ足を運ぶことだけで卒業できます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに、感性には個人差があります。このご時世、表現だって自由です。聴いたところで私のセックスを値踏みするのは心外なのでやめてください。

 

なんでも手に入れちゃうあの子が、うらやましかったんだぜ③ 〜猫編〜

 

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私の周りには美しい人たちが結構いる。ありのままを生き過ぎてエネルギーが滞ることがないのか、皮膚細胞が老化することを忘れたのか、年齢不詳の美女たちは今日も休むことなく輝いている。内側からの光も相まって、直視するのが困難だ。

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なんでも手に入れちゃうあの子が、うらやましかったんだぜ② 〜ハリケーン編〜

これは私が24歳の時に出会った、ある女性の話。

彼女は本当に清楚で、いつも背筋ピーン!凛としていて、あらゆるピンクがやたらと似合う。彼女はこう言われるのがあまり好まないようだが、本当に育ちの良さが見て伺える。俗にいう、ウ◯チとかしなさそうな子だ。

 

そんな彼女には、確実に私には持っていないものがあった。今回はただの嫉妬話ではない。こんなことが本当に許されるのかと、当時の私は彼女の持っている不思議な能力に、幾度となく度肝を抜かれたんだ。

それは彼女の強靭な『笑い』の破壊力にある。

何を破壊するかって、典型的な、ザ☆日本人の感覚を、完全にぶち壊してくれたんだ。

 

たとえば、空気を読んで言葉を選んだり、選びに選んで発して失敗しておかしな空気になったりして、背中に冷たい汗がつたるのを感じた日には、家に帰った後も「今日のやっちまったリスト」を見返しては何度もそれを頭の中で反芻してしまうかもしれない。しかし彼女は、そんな冷え冷えキンキンの場に居合わせたとしても(自分でしてしまったとしても)、その豪快な笑いという爆風で、場の空気を一瞬で変えてしまうのだ。

 

彼女を見ていると、広大な海を、頭上に広がる無数の星を目にした時に『もしかしたら私が悩んでいることはめちゃくちゃちっぽけなのかも?』とふと思ってしまうのと同じくらい、知らないうちに奥底にしまい込んでいた自然の自分に引き会わせてくれてる。それはめちゃイケ濱口優が扮する『笑う男』につられて笑ってしまうというのとは、ちょっと質が異なる。まさにそれは竜巻のような、もっと人の深い部分にあるものを根こそぎふっとばす強力な力を持っている。

 

 

こやつ、デキる…。

 

竜巻みたいな、いや…台風みたいな女だと感じた私は、尊敬の意を込めて以下、ハリケーンと呼ぶ。

実際ハリケーンが、ハリケーンの笑いがどんな勢力を持っているのか、実際に体験していただきたいが、そうもいかないのでハリケーンの度肝を抜かれたんだエピソードをご覧いただこう。

 

 

 

滑ったギャグも自己回収

ハリケーンはどうしてこんなにいつも楽しそうなのだ。ハリケーンと一緒に行動して、快活な笑い声が聞けない日はない。

『はぁああ、おっかしぃー!』と、ハリケーンは笑った後によく言う。それは『はぁああ、お腹いっぱーい!』と食べることが生き甲斐な女子が自分の大好物で満腹になった時に発する満足感MAXな言葉と同じトーンで。笑いのツボが浅い私とは違い、ハリケーンはどんなことでも笑いに変えてしまう。2回に1回は「そこ、笑うとこ?」とツッコむこともあるが、彼女にとってはそれが面白いことなのだ。しかもそれは無理に笑いに変換したようなわざとらしさ1ミリも感じられない。たとえ自分で噛んでも滑っても、それをすべて例外なく自分で回収(笑う)する。しかもその回収する工程で周りの人がつい笑ってしまうのは、彼女の言ったことがおもしろいんじゃない。彼女がこれだけ楽しそうにしていることが、なんだか純粋に嬉しくて、楽しくて、そしてなんだか癒されてしまうんだ。

 

ある心理テストがある。自分を含む5人グループ全員が笑っている絵と自分だけが笑っている絵。あなたはどちらが幸せに感じますか?というもの。

日本人の場合は、ほとんどが前者と答えるという。周りが笑っていないと意味がないと感じるから。 外人は(国にもよるのかもしれないけど)、どちらも同じだと答えるという。「だってどちらの絵も、私は笑っているから」と。

ハリケーンは完全に後者の発想。見た目こそ違うものの、映画のワンシーンでよく出てくる快活に笑う恰幅の良いゴキゲンな南米黒人かってくらい、見てて気持ち良い。

彼女は相手のレスポンスなんて一切関係ない。すべて自分の世界だ。なのに、他人の世界を乱さない。むしろその周りにいる人間を、彼女のゴキゲンな世界へ巻き混んで行く。笑の渦という光にみんな惹かれていくのだ。

 

 

 

空気を読まない

ハリケーンはどうしてこんなにも空気を読まないでいられるのだ。しかもすごいのは読めないわけではない。頭の回転はめちゃくちゃ速い。天然もまた違う。ハリケーンは、あえて空気を読まないゴキゲンな女なのだ。

それは時に、他人の不幸をも、笑い飛ばす。 というのも、もちろんすべてではない。「ここは笑っちゃいけない気がする」のバロメーターが、人よりだいぶ低いのだ。

例えば、私が以前このブログの1枚目で、自身のハゲ体験についてを書いた。

tyouwa-san.hateblo.jp

今でこそ世界に公表しても痛くもかゆくもないが、これはまだ症状が不安定な頃に、きっと毛は生える!と希望の光が見え始めた時のこと。いわゆるデリケートな時期に彼女にこの話をしたんだ。それまでは人に気付かれないように生きていたのに、その光を見てやっと人に話すことができるようになった時、なにかの拍子にそれを彼女に話した。

 

すると『えっ?ハゲ・・・?あはははははははははっ!あ、ごめんごめん、ふふ。それでそれで?』と思った以上に面白そうに、笑い話の掴みだけ話した時のレスポンスが彼女から返ってきた。

 

ハゲは本当に扱いが困る。経験した私でさえ、相手のハゲの心理的ダメージは探り探りのジャブ、ジャブ、ストレート!だ。それでもハリケーンは迷いなく笑った。その時私は、とても大きな衝撃を受けたんだ。

それは「ひどい!」とか「もうこの人とは話す気なくなった」とか恨んだり傷ついたり、気分を害したりなんてしなかった。なぜならハリケーンにバカにした素振りは一切なく、彼女にとっては、ただ、それが面白かったのだとわかったから。

彼女が笑ってくれて初めて私は、『あぁ、私はこんなちっぽけなことで悩んでいたのか。』と、彼女の笑いに、広大な海を覚えた。ハゲても多毛でもいいじゃないかくらいの彼女の笑いが、私の中の奥底にある「恥」という概念を吹き飛ばした。汚れのない純粋な笑い声に、私は救われた。もしかしたら、私自身、それを望んでいたのかもしれない。早く自分の中でもネタにしたくて、誰かに話せるようになりたかったのだ。

人を傷つけかねない、というか笑っていいのかわからない躊躇するシーンでも、ハリケーンは相手の迷いをも吹き飛ばす。

 

ただし、これはきっと誰でもやっていいわけではない。これは彼女の内側にある純粋な汚れのない笑いが、人をそうさせるのだ。笑いには「薄ら笑い」も「鼻で笑う」も「あざ笑う」も「せせら笑い」も、このケースでは純粋な笑いじゃない。笑いにはいろんな気持ちを込められる、うまく笑えな日だって人にはある。ハリケーンの場合、野球で言えばどんな球が来たとしても彼女の笑うストライクゾーンに入った球はフルスイングで必ず打ち返す。中途半端な空振りはホームランを打つよりも身体に疲労や乳酸が溜まる。無理に笑いそばそうをしても、その「無理」が邪魔して上手く打ち返すことができないのだ。

 

そんなん、ショートゴロどころか、ファウルだよ!

 

 

 

 

さすが台風の目

ハリケーンはどうしてこんなにもブレないのだ。彼女の魅力は、自分を大切にする姿勢を、断固として崩さない強さでもある。ハリケーンの中には、誰にも乱すことができない絶対死守領域があるのだ。

 

人はつい自分の気持ちを圧し殺し、モヤモヤと残るこの気持ちをテイクアウトして一日を後悔したり、もつれ込んだら「なんでこんな思いしなきゃいけないんだ!」と、それは妬み、嫉み、怒りというダークな感情に変わる。スターウォーズの世界なら、きっとダースベーダーからお声が掛かるくらいに。 しかし彼女は必ずと行っていいほどその場で消化するのだ。『それってこういうこと?』と、自分が受け取ったものと、言葉の意図を確認する。そうやって彼女のモヤモヤをスッキリ解消しているのだと思う。心の深い部分には決して立ち入れさせず、自分を傷つけさせることもしないのだ。

彼女の周りを巻き込んでその場を一気に明るくするその絶対死守領域である「軸」は、まさに台風の目の如く、常に晴れ晴れとして清々しい。あの風のような爽やかな笑いが生まれる秘訣はここかもしれない。

ハリケーンは自分の意見も言葉こそ柔らかいもののストレートにハッキリと伝え、それと同時に「あなたの意見も教えて」の姿勢で守備に入る。力技は持ち合わせていない。意見があれば折衷案で落ち着きどころをうまく探してくれる。台風の目を晴れやかにするための方法を知っているからこそ、あの笑いが出せるのだ。

 

 

 

 

 

いつも空間に風を吹かせるハリケーン。

こんなに楽しそうに、こんなに幸せそうに笑ってくれるのならば、ぼくは喜んでピエロになるよ。と、きっとオトコなら言いたくなるのではないか。いや、たぶんならない。なんせ彼女は第3者のピエロに頼らなくても、自分で自分をゴキゲンにできるから。

という彼女でも、もちろん落ち込むことはある。温帯低気圧が勢力を落として北へ抜けて、ただの低気圧に戻りそうな時が。それでも彼女の姿勢は変わらない。自暴自棄なんて言葉をしらない。強さを持った女なんだ。

 

 

空間がハリケーンに吸い込まれていく瞬間を幾度となく見てきた。

そして、齢、数十年という間に着込んだ自分を守るとための鎧を剥ぎ取ってくれる。自分を守る必要なんてない、恐れることも、不安だって必要ないんだ。と。それも彼女の醸し出す空気が私に伝えてくれたのは、『もっと笑え』ではない。『自分を爆発させろ』と、言われているような気分だ。

ハリケーンが過ぎ去ったあとには、身体はなんとも軽やかで、いつもよりワントーン明るい視界が広がる。そして、その不思議な感覚に、人は彼女に『また会いたい。』と思ってしまう。

笑いが気持ちいい。風みたいに笑うあの子のことがみんな大好きだ。

 

 

『もっと自分を大切にしてあげて。そうすれば周りの人もあなたを大切に扱ってくれるようになるよ』と、ハリケーンは行動で私に教えてくれた。

もっと自分を広げていい。

もっと自分を表現していい、と。

あなたがそうやって、幾度となく私を救ってくれたから、私はいまここにいます。

出会ってくれて、ありがとうね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに、今回はあえて空気を読まないというハイレベルなトークスキルを要求しかねないことをネタにしました。相手を傷つけないように配慮したいところですが、これだけは言えます。

ハゲがハゲをネタにした時は、思いっきり笑いましょう。

なんでも手に入れちゃうあの子が、うらやましかったんだぜ① 〜太陽編〜

女として生まれて、はや28年。心の成長はままならず間もなく29歳を迎える。

そう、あれは20代前半の頃の話。

 

私には、大好きな親友がいる。時に支え合い、時に励まし、時に笑う。叱咤激励も何度したかわからない。あんたの花嫁姿を想像するだけで泣けてくるぜってくらい、彼女には幸せになってほしい。ただ、私は彼女に対して1つ、手放しに受け入れられないことがあった。

 

それは彼女のコミュニケーション能力にある。

彼女は、わたしがそれまでに築き上げた人間関係を一瞬で掻っ攫っていくほどの会話の達人なのだ。

たとえ待ち合わせで彼女が遅れ、私が飲み屋に先に到着し、隣の知らない人たちと仲良くなって楽しい関係を築こうとも、彼らの記憶の中には、なぜだか小1時間話した私ではなく、後から現れた2,30分の彼女のことしか印象に残っていない。彼女と話している時の彼らの顔の輝きが、そう物語る。そして私の中には、彼女が現れる前の話の中で出てきた登場人物の相関図と、すぐ隣で繰り広げられる楽しい会話ではなく、まるで遠くの光を眺めるかのような距離感だけが刻まれていた。

 

 

さ、さみしい。

 

 

私は別に、人見知りではない。と思っている。でも、どうしてあなたと私はこんなに違うのだろう。初対面でジャブをかまし、相手の出方を伺う私の攻め方に対し、彼女は目が合った瞬間から全力でハートにストレートをかますのだ。共感力という強力なカウンターを隠し持って。それまでの私が作った空気をすべて掻っ攫い、私の存在価値、居場所までなくなっていくのではないかと危惧する私は、そこから会話に参加しきれず、自分の居場所を探したら、物理的にも席の端でじっとしているのが落ち着く、みたいなことが起こるのだ。いや、彼女が私を端に追いやったわけでは決してない。そして寂しいわけでもない、くやしいのだ。

 

ただただ、私が彼女の会話術に嫉妬したのだ。

 

 

親友よ、お前は太陽か。その周りにいるあんたら全員、ヒマワリか。

その場を暖かい空気にする彼女はまるで太陽だった。そしてその太陽の周りには光のある方を追いかけるヒマワリが咲いていた。私は、がんばっても太陽になれず、せめて引力で海をも満ち引きさせてしまう月のポジションがまだ空いている!と思っていたが、結局は「こっちだよ!」って気を引きたいがために視界でちょこまかと動き回るプレゼン用の赤いレーザービームだ。

なぜそんなにも、自分のアイデンティティーを初対面の人間の前で披露することができるのだ。

その自信はどこからくるのだ。いや、自信があるからついた会話術なのか、会話術が身についたからある自身なのか。でもたぶん、そのどちらでもない。 私は20代前半にて早くも頭3つ分くらい飛び出たコミュニケーション能力の開きを見せつけられ、ヒマワリにもなりきれない私は、大好きな太陽(以下、親友を太陽と呼ぶ)に嫉妬した。

 

 

太陽との付き合いはもう12年になる。この間頻繁に一緒に居れたわけではない。だが、私なりに太陽を分析し、なぜ、太陽はあんなにも人の心を掴むのだろう。と考えた。これからまだまだ、人生は長い。人と人との交流で人生の質が決まるのであれば、太陽に学ばないなんて損だ。

 

 

 

私の「なぜだ!ノート」から、太陽の秘密を暴こう。

 

 

 

 

 

 

心の扉全開でくる。

ジャブ、ジャブ、ストレート!ではなく、太陽は一発即発ストレート戦法。初対面の人には自分を小出しにし、相手の出方を伺う私と違って、太陽は最初から全力で太陽で行く。それも空元気のようなものでもなく、圧力を感じさせず、原則その空気を読む。眩しくない程度にその場の空気の1.3倍くらいの明るいトーンで徐々にその空間を照らしてゆく。

 

返報性の原理のように、最初からストレートしてくる彼女につられて、「こちらもストレートで返さなければ」という義務感ではなく、「あ、この人は心の扉がオープンだ。」という心がほぐされていくような安心感だ。彼女の前では、飾る必要もなく構える必要もない。咄嗟に構えたファイティングポーズは直ぐさま解除され、みんな無防備になる。そして観音開きの心の扉の奥にある広大な大地のような、オープンマインドで捨て身で飛び込める懐の深さを感じ、人は彼女に惹き付けられていく。

人はもうだいたいここでヒマワリになる。

 

大抵の人間はこれができないのではないか。というか、見た目や誰かの友達という、あらゆる判断が、自分の心の扉を閉じたり開けたりする。太陽は話す前にその人に色をつけない。例えついたとしても太陽はそれを態度で示さないのだ。

 

 

 

共感力と必殺カウンター

人の心を開かせた後には、素晴らしい共感力とカウンターを喰らわせていただくことができる。会話を続ける毎に素晴らしいカウンターに、「あ、うまく話せなくても、どんなに滑ってもこの人はちゃんと拾ってくれる」と、どんなに小さなすっかり安心し、惚れ込んでしまう。

 

カウンターには大きく分けて4種類ある。「オウム返し」、「要約返し」、「ツッコミ」が、川の流れが滞りなく緩やかに、時に激しくし、そして彼女が、いいよ、わかってるよ!と、包み込んでくれるような「相槌」は、脱線を食い止め無駄を省き、加速させる。それは起承転結をよりシャープに、そして彩を与えてくれる。 

 

なんでも拾ってくれる太陽だが、相手に恥をかかせかねない揚げ足取りは、太陽の趣味じゃない。それどころか、相手を立てるという、「私はあなたをリスペクトしてますよ」っていう姿勢をきちんと示すのだ。また、「よく今の話で流れがわかるな」とうことがザラに起こる。周りがわからなくても、彼女がそれを簡単に要約した時点で、みんなの「?」は解消されてしまうのだ。会話の流れは決して止まらない。太陽が見守る中、この川はもうすでに完璧なのだ。

 

 

嫌味がない。

太陽は生粋の聞き上手だ。耳4つ付いてんじゃないかってくらいの集音力。そして感情の機微まで捉えてしまう。君はオーラのように、人の心が目に見えるのかい?と聞きたい。

そして、太陽は自慢話もあまりしない。したとしても、「ねえねえ聞いてよ!」ととんでもなくキラキラした目で話してくるのに、飾らないというか、結構しょうもない話。まるで5歳児の女の子が今日幼稚園で隣のお教室の男の子にもらった雑草のブーケを自慢してくるみたいな感覚だ。なんてかわいいやつなんだ。そんな太陽に、心がくすぐられてしまう。ここでだいたい嫉妬する。

 

もちろん太陽は、そこに対して「わかってよ!」と言わんばかりの態度も、何一つこちらに理解を要求してこない。どんなレスポンスが来ようとも、彼女は空気を乱さないのが鉄則だ。彼女は相手に対してなにも期待せずに「ねえねえ聞いてよ!」と言っちゃう。言えちゃう。ずるい。

 

これを真似しようとすると、だいたいの女はしくじる。5歳児になりきれず、5歳を演じる実年齢の女にしかなれないからだ。太陽のこの技は、やっていい人間とやってはいけない人間がいる。

試みた私も、何度傷を負ったかわからない。

 

 

 

いつも笑って愛嬌MAX。

太陽は絵に描いたように、いつもニッコニコだ。これだけ一緒にいればその時のコンディションもわかるようになるが、太陽は人前では明るく務める。クリクリのキラキラの真っ直ぐな目に、その場を照らす明るい笑顔。キャッキャと目尻を下げて彼女が笑うと、それを向けられた側はなんだか嬉しくなる。

 

私はだめだと思いつつも、腹が痛ければ腹が痛い顔をし、早くこの場を立ち去りたければ立ち去りたい顔し、私が嫉妬している最中にはきっと微妙な顔をしてしまっている。(たぶん)まさに感情が表に出るタイプだ。クリスティアーノ・ロナウドがCMしてるPAOでも試そうか。

  

 

 

 

 

 

 

 

私が分析した太陽の会話術と、相手を受け入れる懐の深さ。これが頭3つ分くらい上のコミュニケーション能力。

ここまでくると、嫉妬どころか、関心に変わり、分析すれば分析するほど脱帽し、いつしかこんなに小さな私でも太陽に対する思いは、リスペクトに変わった。そして私は、みんなと同じく、ヒマワリになったんだ。

 

 

太陽は、会話術は練習してないと言っていた。

でも、きっと、無意識ながらも誰かを大切に想う気持ちが、自然とその話術を会得させたのだと思う。

 

 

太陽がいてくれたから、私は心の扉を開くことが、誰かを想う気持ちが、如何に大切かにも気付けた。

 

 

 

ありがとう、太陽。

 

これからも、私のそばで周りを照らしてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに、ニートな時間が長すぎると、人と接する時間も少なく、顔の筋肉がみるみる衰えていきます。急に笑わされると、筋肉もビックリして口元が痙攣し、自分自身が今どんな顔をしているのかがわかりません。もし顔がおかしなことになっていたら教えてください。

 

本当に笑っているのか言葉でお伝えします。

 

お知らせ

「自分の愚行の清算に使おう!」と思い、スタートしたブログ『私の脱皮した恥ずかしい皮たち』をいつも読んでくれてありがとうございます。
ただただ干物のように世に晒すことを目的にしていたのですが、思った以上に好評で、予想以上のオイシイ皮になっています。
 
 
 
「面白い」「更新楽しみにしてる」って言ってくれる人もいますし、毎回コメントしてくれるやさしい人もいます。また、私自身書いたこと忘れてるのに、読んでくれた人の方が覚えててくれてたり。恥を晒しているだけなのに、こんなに嬉しいことはない!!
 
 
 
と、思う反面、当初の私は、私のために書いていたのに、いつしかそんな誰かの期待に応えたいとか思うようになっていったり。何も決めずに勢いで書き始めた分、環境が変わったこともあって、途中で自分がブレて何を書いたらいいのかわからなくなり、時には似たようなことも書いてしまったり、文章の神さまが降臨することが減り、書きながら胃が痛くなるという自虐っぷりも発揮していました。なんてナイーブなんだ!
 
 
 
 
みんなは、何を求めていて、私はここで何を書きたいのか。いやいや、たぶんなに一つ、求めていないと思う笑 別に書かなくなっても、すぐに忘れ去られるコンテンツなのかもしれないけど、それでも私の皮には愛を込めて書いたつもりだったから、とても大切な皮たちだったから、どうせならいい感じに晒してあげたかった。
 
 
 
映画『マラヴィータ』の中で主演のロバートデニーロが『文章を書くっていうのは、自分を映す鏡を見てるような気分だ。』っ言ってました。文章に起こして初めて、「あぁ、私はこう思ったんだ。」とか「だから、私はこうしたいんだな」とか、そんな自分の気持ちに改めて、いや、初めて気付かせられることもたくさんあります。頭の中では連結しなかった途切れ途切れの感情がどんどん集結していく。こんにちは自分の気持ち!って感じです。
 
 
 
この東京での7年という時間は、私に人生の絶頂と絶望、どちらの風景も見せてくれました。それと同時に、『生きるとは愛情の受け渡し』『どうやら愛は地球を救うらしい。』『人生良くも悪くもすべて思い通り』この3つを学ぶための時間だったように感じます。我が猪突猛進っぷりが私にさせてくれた痛々しい経験の数々は、こんなにも大きな学びをくれました。
 
 
 
だからと言って、私は今なにも持っていないんだけど。 
それがわかるまでは毎日が悔いに溢れていましたが、こんなに辛く、苦しく、恥ずかしい過去を、あの頃に戻って変えたいという気持ちが今では不思議と消えてしまいました。
 
 
 
そして、私の学んだ3つの共通点は「愛」そのものだった。
いつしか書いたかもしれないけれど、愛がなくちゃ、人は本当に生きてはいけない。そして無意識だったけど、いつも皮の着地点はいろんな形の「愛」だった。
 
 
 
ほんとに今更だけど、書いて気付いた私の書きたいこと。私はこの「愛」を軸に、今まで通り私全開のブログを書いていきます。
もしかしたら、つまんない!って思われちゃうかもしれないけど、私は自分が書きたいことを自分が好きなように書いている自分が、どうやら大好きみたい!
 
 
 
そして大好きな自分から生まれる皮は、きっと誰かの心をくすぐってくれるはず。
PCからしか見れないけど、ちょっとトップページも改造しました。
 
 
 
私がスランプに陥っている時に、そんな大切なことに気付かせてくれた、一番この皮を愛してくれていた親友に感謝。
 
 
あーちゃん、ありがとうね。
みんなも、こうやって私を育ててくれて、ありがとう。
 
 
 
 
 
 
 
これからも恥ずかしい皮をよろしく。
 
 
 
 
では!あでゅー

だいたいこの方法で、私は健康体に戻ったんだぜ。

身体のサインを見逃すべからずと、いつしかの皮で書いたと思います。

だけど、身体のサインはいろんなところからやってくる!

今日は、かつて体調を崩し始めた時に私が悩んだ4つの症状にフォーカス。

心と身体は背中合わせですが、心は心なりの嵐!身体は身体なりの嵐!に見舞われます。

 

ライトな感じに書いたので、健康体な人もよろしければどうぞ!

 

 

 

 

 

 

高山病になるくらい、呼吸が浅い。

無意識でいても、何かに集中し過ぎか、緊張し過ぎかで、とにかく気付いた時にはほとんど息してない!

水から出した金魚が口とエラを全力でパクパクさせて得られる酸素よりも、きっと少なかったんじゃないかってくらい、自ら身体を低酸素状態にして高山病を発症させてるみたいな。

呼吸って心臓くらい全自動でやってくれてるものだと思っていたけど、どうやらそうじゃないらしい。

呼吸が浅いと酸素も栄養も運べないので、頭は回らないわ毒素は溜まるわ身体は冷えるわ便秘になるわで、たいへん!循環器系で毒素はどんどん外に出さなきゃいけないのに、自分の身体にダムを作るようなもの。男の子ももちろんそうだけど、女の子は特に婦人病にもつながるので、呼吸がめちゃくちゃ大事。

最終的に、呼吸を意識過ぎて逆に酸欠になったので、わざわざ呼吸法を習いに行きました。

 

 

 

星一徹もびっくり!背中と肩がガッチガチ

この時、モノ書きをしていて、1日10時間以上パソコンとにらめっこしていたんだけど、それはそれはもう、気付いたら大変な姿勢でやっている。首の角度、肩が凝るとかのレベルではなく、力の抜き方がわからん。背中の感覚がないくらいにガッチガチ。二の腕も使ってないのになぜか痛い。まるで『巨人の星』の父、星一徹にバネだらけの”大リーグボール養成ギプス”を装着させられた後のような身体の痛みが、全然消えない。このままでは試合に出れないどころか、通常の生活すら送れないと思い、私は整体院に向かった。

 

当時、某番組で某有名人が施術してもらっていた中国式指圧整体院の噂を聞きつけ、そこによく通っていた。そこは、中国人で、たくましく、思いやりがあり、なにかと相談してもちゃんと受け答えしてくれるおかあさん風の女性が1人でやっていた。日本語カタコトなおかあさんが私の身体を指圧するたびに『アンタ身体ガチガチ過ギダヨ!!硬過ギテ私ノ親指折レルヨッ!!!』と、冗談交じりに半分怒っていた。危うく人の親指を背中で折って、ビザが切れる前に帰国させてしまうところでした。

 

結局、おかあさんからは愛だけは確実に受け取りましたが、根本的に私が治らないために指圧の揉み返しが辛くなり、痛くないソフトなマッサージに行くようになったのでした。私は気功整体がぴったりだったんだけど、そこでも呼吸についてかなり指導されました。

 

 

あの中国人のおかあさんが今でも元気にやっていることを、願うばかりです。

 

 

 

 

気付いたら瞬間移動している。

「は!」と気付いたら目的地。「はっ!」と気付いたらお昼ご飯終了。「はわわっ!」と気付いたらもう家について1日が終わっている。身体が、足が道を覚えていたからお家に帰ってこれたんじゃないかってくらいのあっという間にお家。飲みすぎてどうやって家まで帰ってきたのかわからないみたいなことが、シラフなのに度々起こる。意識半分どこか遠くへ飛んでいるか、一日中ふかふかのお布団の中でずっと横になっていたのかも。私の1日の記憶を思い出しても、浅い。やってることも言ってることも、とにかく浅い。これじゃ誰の心も動かせません、というくらいに。心ここに在らず、というか、まさに「地に足が付いていない」状況で、きっと魂半分抜けていました。

 

もしかしたらこの時、足の裏に画鋲刺さったとしても、気づいてなかったりして。

これも、呼吸が浅いのが原因だったみたい。そらそうだ、酸欠状態で頭回らないもの。

 

 

 

別名コントロール室、自律神経がヤラレル。

自律神経!あらゆる調整部門であるこの部分がやられるともう大変。身体は常にイマージェンシー!!わけのわからないことがたくさん起こります。

内臓が通常稼働してくれないので、めまい!偏頭痛!動悸!ほてり!冷え!心が猛烈に嵐のようにざわつく、イライラ、不安、情緒不安定でカオス!・・・などなど!

心と身体のコントロール部門がやられると、もう落ちていくだけ。医者でも添え木でもなんでもいいのですぐに探してください。

症状は他にもたくさんありますが、書けばキリがないので、気になる人は自律神経でググってください。

精神的なことが原因じゃなければ、ちょっとした乱れは病院の薬で治せるみたい。最近の医学はすごいですね!

でも、ココロが原因ならば、心の土台が崩れている可能性が・・・かつての私みたいにね!

 

そしてここでは書きませんが、目の前で起きたことがまるで自分の身に起きたことのように感じたりするようになる。分かりやすく言うと、梅干し食べてないのに、見ただけで唾液めっちゃ出るみたいな。それの別の感覚バージョンが起こったりする。これは結構見方によってはオモシロイ出来事もありました。

とにかく自律神経がやられると、いろんな症状が四方八方からやってくる。「自分を律するための神経」がやられるっていうのは、そういうことなんだなぁ、と思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 すべては、「呼吸の深さ」だった。

さて、こうやってみると、私は呼吸の浅さからくる症状の悪循環で、身体がめっためたになっていたんですね。

身体のサインというのは呼吸の深さを見ることでもあります。一番最初に書いた『呼吸の浅さ』がすべての原因だったというくらい、呼吸は大切!すべて詳細に書くことは今回できないけども、だいたいのことは、呼吸で改善できるそうです。

呼吸さえちゃんとできていれば、ガンも治せる!というくらい注目されてますしね。

 

 

 

『息』という字は自分の心と書く。心と身体は背中合わせ。

 

 

ここはひとつ、瞑想でも生活に取り入れて、しっかり見つめたいもんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

身体のサインにしっかりと向き合い、だいたいこのことは「呼吸」で良くなることがわかった皮。これで自分の健康は約束されたようなもんだぜ!

しかし、そんな高を括っていた皮に次々と不思議体験が巻き起こる?

果たして皮は無事、健康体に戻れるのか!

次回!恥ずかしい皮!「誰かの感情が、私の中に入ってきたんだぜ!」

次も絶対見てくれよなっ!!