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だいたい、感じてなんぼ

人生、自分の感じたものがすべて。あらがわず、しなやかに。

なんのために、キレイでいなきゃいけないの?

恥ずかしい皮

そう、あれは当時20代前半のこと。化粧するのはあたりまえというか、もう家を出る前にする習慣。でも、どんなにキレイを磨いても、別に振り向かせたい相手がいたり、いつも違う私を演出してトキメキを与えたいと思うようなパートナーがいるわけでもない。かといって、これから出会うであろう架空の人物のために、私は全細胞を活性化させて若さ、美しさを磨き保つということは、なんか違う気がしたし、労力でしかなかった。

キレイになるのは、身だしなみ?自分のため?誰かのため?女である以上、これは定めなのかな。だとしたら、女なんて・・・。ある日突然、私の目の渕から飛び出したアイラインを綿棒で拭いながら、『キレイになること』にハタと疑問を持つようになってしまった。

 

なによりメイクのbeforeからAfterにかけて美しくなることが苦痛でもあった。女の至高の喜びであろうキレイに仕上げた鏡の中の自分が、なんだか悲しそう。かといって、化粧をしないままではいてもたってもいられない。化粧をしないと自分じゃないってくらいだった。心に彩りをもたらすべき化粧が、私を蝕む。自分の顔が嫌い?いや、嫌いではない。でも、なにか違う。

美容系の本や美容系ブログを読んだり、yahoo!知恵袋を見たりしても、私の「?」に対する答えが書いてない。どうやら化粧は自律神経にいいらしいとか、化粧は肌ではくて心にするものであるとか、知識的なものや哲学的なことは得られたけれど、腑に落ちることはなかった。

 

ある時とても乙女な友達に電話して本気で答えを乞うたこともある。なかなかごもっともな答えが返ってきて、「そうだよねぇ」と納得しようとするも、一般的な女子とは違う理由が、私にはある気がした。心の中のもやもや。鏡の中で笑う私はいつもどこか悲しそうで、なにかが足りてなかった。かといって、メイクをしないまま、自分がOKを出す『一定のキレイ』を満たさないまま人に会うことは決してできなかった。

どうして普通の女の子は、オシャレもメイクもあんなにも楽しそうなのだ。どの道楽しめないなんて、損である。できることなら、私もあの輪の中に入ってキャッキャしたい。

 

キラキラ女子よ、どうか教えて。

 

 

 

 

■しがみつく「キレイ」という唯一の価値

私にとって、キレイでいなくてはならないということの意味と答え。

その義務感のような思考のルーツは幼少期にまで遡る。

私は、母親に褒められたことが、ほとんどなかった。

とってもとってもかわいがってもらったが、頭のなかの褒められたBOXにはいつも1つしかはいっていなかった。

それは、顔がかわいいってことだけ。容姿だけだった。

褒められてはすぐに調子に乗る私は、このままじゃロクな大人にならないと危惧したのか、なにをしても褒めてもらえなかった(気がする)。

それだけが私の価値だって、どこかで思った。

(ちなみに叱られたBOXは思い出すのが困難なくらいカオス。)

 

①キレイと言われるために自分を磨く、自分の価値を保つ

②「キレイだね」と言ってもらえる

③自分にはキレイしか価値がないことを再認識して凹む

④でも私にはそれしかないので、「キレイな私」にしがみつく

①に戻る

という負のスパイラル。なんてことでしょう。

 

残念というか、痛いというか、背筋に鈍痛が走るくらいな感じ。

でも、「年とったらどうすんだ。」と冷静に突っ込むことはできたので、そうじゃないところで、仕事は下手なりにがむしゃらにがんばってみたが、どうやったって心が潤うことはなかったんだ。もちろんこの時、自分の中身(性格)にはスポットライトは当たらない。

しかも東京にきたら、街には極上のキレイがたくさん歩いてる。その価値しかない(と、思ってる)私は、どんどん存在価値があやしくなる。年をとれば、青々しい果実のような、これからもっと磨きのかかるであろうキレイもスライド式にどんどん東京には入荷される。もちろん私には「君はそこに座ってるだけでいいんだよ」と言われるほどの美しさもなく、それは私にとって脅威でしかなかった。

このままいけば、若さからくるキレイを失うころには、『キレイにしがみつく私』は『媚びる私』に進化してしまう・・・。

私の価値判断は外見しかなかったというか外見が大きなウエイトを占めていたから、そして少しでも自分よりキレイがいた途端、私はブスへと転落する。なにがブスって、表情も性格もひん曲がって『キレイ』がある前提に成り立っていた自分らしさとかがどんどんと崩れていく。

 

 

■価値を積み上げて壁を作るよりも、価値のない自分を満たすこと。

手放しに何もない自分を認める、受け入れるのは、なかなか勇気のいることで、そう簡単にできることじゃない。ありのまま〜♬とかいうけど、フッ切れ方を間違えたら自分の大切な人まで、傷つけちゃうかもしれないし。兄妹凍らしたらそれこそ御仕舞い。

ただ、それに気づいてからは容姿以外のいろんな価値を積み上げようと努力してきたけど、それはしがみつく棒のような価値が2本、3本とふえて最後は壁になるだけだなって思った。あなたと違う私のこんな価値を武器にして、戦うことしかできないから。 わたし、戦いたいの?いや、そうじゃないわ。

価値を積み上げることよりも、自分っていう境界線がなくなるのが一番最高。

もちろん仕事とかで自分以外の相手から価値を見出してもらうことは大切かもしれないけど、もっとベースの部分をガッチリみっちり固めることができたら、自分の価値なんて気にすることなく、目の前のことに精一杯がんばることができるんじゃないかな。

 

 

 

ここ数年で自分を満たす術を得た私は、「キレイ」を磨くことはほどほどに楽しめるものになりつつある。キメ顔で写真を撮ることもなくなった。というか、キレイであることという価値が揺らいで、今までみたいに価値を見出せなくなった。結構どうでもよくなった。

でもその代わりに、爆発的な笑顔を手に入れた。赤ちゃんが生まれた時に泣くくらい、全細胞を起こすくらいの大声で。どれだけ楽しそうか、それが伝わるかが一番だなぁと思う。

 

 

 

人生楽しんだもん勝ち。

明日も爆発的に笑う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

余談ですが、最近歯茎が痩せてきたのか、歯にモノが詰まりやすくなっております。爆発的に笑った時に前歯になにか詰まってたら、迷わずおしえてください。

まじ笑えないんで。

 

 
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