だいたい、感じてなんぼ

あらがわず、しなやかに。

タメ口きいてくる年下の子が、たまらなくこわかったんだぜ。

そう、あれはちょうど25歳を迎えたときくらいのこと。

私は生まれてこの方、敬語を使うことが苦手だった。なぜ敬語なんて使わなきゃならんのだ。とずっと思っていた。

もっと言えば、尊敬ってなんだ。

尊敬できる人間は?と聞かれたら、なんとなくそれっぽく「母親」とか言っていたけど、そもそも尊敬の意味も、本当はわかっていなかった。

じゃあ父親はと言うと、決して威厳がある方ではなく、どちらかというと家の中ではお弁当のメインに添えられた、ししとうみたいな存在だった。(いまではとても尊敬しているよ)

母親とは正反対で、反抗しても何を言っても、スルー力の高さなのか強靭な忍耐力なのか、これまでに怒られた記憶は2度しかなかった。

(3歳のときに牛乳の入ったコップを倒してしまったことを隠蔽しようとしたのがバレてオシリぺんぺんの刑、高校の時におとんのスイカの食べる音が生理的に嫌すぎてどうにかしてくれって言ったときに渾身の怒りを込めて私の名前を怒鳴られただけだった)

 

きっと怒れなかったんだね・・・。

 

部活もやって、先輩には不自由なく使えるようになったが、人を敬う、立てるという精神は養われず、どうやら使わないといけないらしいという空気感でしかなく、人を敬うなんて気持ちはなかった。

敬語を使うべきとされる人に対して、ついタメ口が出てしまった時のピリリとする空気がたまらない。(仕事の時はちゃんとつかうよ)これだけ人がいても、一人の人間の気分を損ねただけで、こんなにも空気は変わってしまう。うーんわからん。私は仲良くなりたいだけなのに、なぜあなたは私と上下の差をつけたがるのか。

敬え!ということか。でもそれは強要すること?「友達じゃないんだから」とか言うけど、友達じゃなかったら・・・なんなの?とか思う自分もいる。

(何度も言うけど、もちろん、誰にでもタメ口きいてたわけじゃないよ)

 

敬語を使うと、その距離感に、なんだか寂しい気持ちになった。またその逆も然りで、誰にでも敬語を使う人もいたけど、その心理もわからなかった。私より年上の彼女は「とっても楽ですよ。相手とか考えなくてもいいですし。」と教えてくれた。

またその稀に存在する標準語=敬語一族の中でも、今まで誰にでも敬語使っていたけど、仕事上不利益があったのか、自分を確立する目的で上下関係によって敬語を使い分けようとした人もいた。ただ、敬語がもうデフォルトになってる人が標準語に直そうとすると、新しい英単語を暗唱するみたいに会話している感じになるので、とってもぎこちなく言葉が、気持ちが、まるで届いてこない。

私はその逆で、敬語を使おうとあまりにぎこちなくなってしまうので「です」とか「ます」の滑舌、「だ行」や「さ行」が苦手なのかと本気で思ったことがあった。本気で練習したあとに、そうじゃない、たぶん気持ちの問題だ。という結論に至った。

結局一通り練習したら、苦手なのは「ら行」と「な行」だった。

 

ところが、ある日、友達の飲食店を手伝うことがあった。その日、すべては暴かれた。そう、私はそれまで、自分より年下の子にタメ口で話されたことがなかった。 いや、あったのかもしれない。でも無意識のうちにOK!を出していたのかもしれないし、年齢なんて関係ないくらい、楽しかったのかもしれない。

年下というか、大学生の女の子がその日は切り盛りしていた。その店は何度か手伝ったことがあって、その女の子にも何度か会ったことがあったが、好きでも嫌いでもない、たいした会話もしたことがないその子をどんな子がを判断する情報が少なすぎたのか、なんともツンツンしてるなという印象しかなかった。簡単なホール業務に、特になんの前説もなく開店した店。わからないことがあれば周りの子に聞いてという感じで難しいこともない。

そんな中、客が入ってきて徐々に賑わい始めた頃。その子は事ある毎に私に上から目線でこう言った。

 

「あ、◯◯しといてくれる?」

私「あ、はい。」

 

「◯◯ならできるよね?」

私「あ、はい・・・。」

 

「あー・・・◯◯は別に今やらなくていいかな。」

私「・・・。」

 

 

 

君は馬鹿か。

なんて身の程知らずなの。

一体私を誰だと思っているのかしら。

いつか思い知るわ。ふざけるんじゃねーわ。

と、もちろん心の声だが、頭の中で憤慨してる自分がいる。ちょーーーー怒ってる。

さっきまでの敬語論は一瞬で破綻したのだ。

私にはそれが、「あなた無能なのね」「使えないわね」って言われてる気がした。その言葉1つ1つで、怒りでどんどん大きく見せようとする私。自分を維持しようとする私。なんだか、とってもバカにされた気分で、腹の中のモヤモヤがどんどん増殖されていく。今までの私が理解できない相手側の気持ちが少し見えた。

 

大切にされたい気持ちと、価値が低いと思われたと判断する私。判断して、反応する自分。

でも、別にバカにされたわけじゃなかった。よく考えれば、バカにされたと勝手に判断しただけなのよね。タメ口つかわれたことと、もしかしたらその蔑む態度にも表情にも腹が立ったのかもしれないけど。もはやタメ口うんぬんじゃなくて、私に対しての扱いなのかな。

結局、私はこの子のことがこわい。いや、めっちゃこわい。タメ口聞いくるこの子のことが、制服着てる女子高生よりこわい。あなたには敬う価値がないと言われることが。(あれ、さっきと言ってること逆。)自分の価値が目減したような気がして。年齢へのコンプレックスというか、くだらないプライドもあったのかもしれない。自分が気にしてることだから、なおさらだったのかも。

だからこんなに怒ってるんだな。怒りの裏にある、怒りに変わる前の感情「かなしい」と「さみしい」の2つが見えた。

そしてもっと大切にしてほしいと願う、私の心が見えた。

 

 

いつどんな時も、相手に自分の価値判断を任せない。

 

昔、一緒に仕事をさせていただいた方で、『仕事で失敗して怒られてすごく凹んでる人がいるんだけど、僕はそれが理解できないんだよね。別にそれで人生どうにかなっちゃうわけじゃないじゃない。』

と言っていた。その時はわからなかった。でも、今ではその通りだ。とやっと納得できるようになった。どんな失敗しちゃったって、どんな恥ずかしいことしちゃったって、そんなところで自分の価値なんて決まらないんだから。

しかもそれは、相手の反応を見て、価値を判断されて、自分でそのまま受け取ったり、勝手に判断してるだけなのだから。自分の価値を自分で下げるようなことは絶対にしちゃあかんやん。

遅刻されたり、なにか嫌なことされたり言われたりしたときに自分の価値にリンクするから、怒りに変わるんじゃないのかな。

 

 

そして本題に戻るけど、結局のところ、敬語ってなんだって疑問なんですが、年上だから使わなきゃいけないものでもないし、それを強制するものでもない。ただ、使う側としては、相手の自尊心や立ち位置を尊重するという意味で敬語を使って、結果的にその人を大切にすることが正解なんじゃないかなという結論に至った。(それが立てるっていうことなのかも。。)

それがわかると、敬語がおのずと自然に出るようにもなった。自分を大切にできるようになったから、相手も大切にできるようになった。使い方が正しいかどうかは別として、敬語を使うってことが、楽になったんだな。また、タメ口を使われてもなんとも思わなくなった。

私に対してそうする君もOKだ。

 

 

OKを出せば出すほど、楽に人生過ごせます。

いまはまだOKが出せない自分にもまた、OKだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに。余談ですが、仕事以外で出会った(もしくは、仕事が終わって楽しい仲間に変身した)楽しい時間を共有する愉快な仲間たちには一切敬語を使っていません。でも私なりに大切にしているつもりで…。

私に対してOK!が出せない方は今度会った時に耳打ちしてください。

全力で謝ります。