だいたい、感じてなんぼ

人生、自分の感じたものがすべて。あらがわず、しなやかに。

一度死んだことにしたら、友達ができたんだぜ。

そう、あれは鬱!ゾーンから抜けだし、止まった時間を取り戻そうと病み上がり状態で札幌から脱出した初夏のこと。

当初、やりたい!と思ってたことが全く手付かずのまま半年間も放置され、私の人生プランがガタガタに崩れてかけていたところを、「私はもう治ったのだから大丈夫☆(に、違いない)」と見切り発車をして札幌を抜け出し、体力と病みかけの気力と力技でなんとかしようと、再び東京という荒波に頭から飛び込んでいった。

だが、上京して3日目にして、私は見切り発車をしたことに後悔することになる。

 

鬱!な私が一番苦労したのは、「心の距離がわからなくなってしまった」こと。

物理的な距離なら適度な距離がつかみやすく、自分がここからここまで!というパーソナルスペース的なものをつくればいい。それでも寄ってくる者に対しては、わかりやすくもわかりずらくもズリズリと後退りすればいい。

だが、心の距離というものはなんともわかりにくい。健常者でさえも、下手な人は下手。少なくとも私は病み上がりであり、ただでさえ「私なんて・・・」と自分を卑下すると思いきや「私だって!」とグイグイと食い気味に前に出たくなったりもする。 自分でもその気持ちを抑えることができず、まるで壊れたコントローラーで主人公を操り、訳のわからない技が次々と繰り出して大切な味方を攻撃してしまったりするようなものだった。

結局、勝手に湧いてくるその気持ちを人間関係で満たすことができず、常に自分の発言に後悔し、しかもガラスのハートで勝手に傷付くありさま。「こんなの自分じゃない!」と、人との距離感で悩んだ挙句、自ら心の扉を閉めてしまうことになる。

総じて、自分が思ってたこの時の脱☆鬱ゾーンは、単に社会復帰できるようになったというだけで、人生の主人公として再びスタートを切れたわけではなく、本当に最低限のラインでしかなかった。

 

そして鬱前から鬱後にかけて、心の扉を閉じ続けた結果、

ついにトモダチがいなくなりました。

 

 

 

言葉の表面化にある、私を満たしてくれ感。

すべての言葉の裏には感情があって、「私だって!」とか、「私なんて!」系の発言ていうのは、「私を満たしてほしい」、「HELP!!」という気持ちを訴えてるだけにすぎなくて、言ってる内容は対して重要ではない。でもそれは他者やモノが満たしてくれるものではなく、本当は自分で満たさなきゃいけないものなのだ。

 

人には心のコップがある。それは常に愛で満たされているはずなのに、中にはそれが満たされていない人がいる。鬱はそのコップが枯渇した状態であると私は思っている。コップが満たされていない人で、且つ、自分でそのコップを満たす方法を知らない人は、殆どの場合、スーパー浪費家☆彡もしくは、ダメンズラバー。♥。・゚♡゚・。♥。・゚♡゚・。♥。という称号を得ることができる(あれ?ダメ女のこと、なんていうの?)。

「え、それ必要?」みたいなブランドものや嗜好品を買い、「え?なんでそんなやつと付き合ってるの?」という男(女)と付き合う。見るからにダメな男は自分がそこを満たしてあげるだけだから、自分が必要とされる場所が簡単に見つかるのだ。つまりは物欲や、見るからにダメな男などの刺激で自分を満たすことがなんとも安直でイージー。しかしこれは一時的にしか心を満たしてくれないため、知らず知らずのうちに泥沼の蟻地獄に足を突っ込むことになる。

 

あぁ、こりゃなんて不幸な人生なの!!

 

 

私もその一人で、正式に鬱!になる前の半年間はその傾向がもっとも強かった。(脱皮したとは言えども、この期間の詳細だけは墓に持っていく!)

中にはそんな状態の人間を支えてくれるエンジェルが現れてくれるラッキーボーイズ&ガールズもいる。君たち、ついてますね!

(ちなみに、そんなことをしても心が満たされないと気付いた私は、嗜好品もダメ男もやめたら、私にもエンジェル君が現れてくれました。だがそれも一時的に現れただけでもうずいぶん前に卒業しちゃったけど。)

 

じゃあそれ以外で自分のコップを満たす方法ってなに?ということと並行して、トモダチを作るために毎日寝る前には一人反省会。「なぜ私はトモダチができないのか?」を何日もタイトルにし「なぜだ!ノート」は再びダークサイドへ。

しかしその甲斐あってか、それから1ヶ月くらいすると自分からは変なことはだいぶ言わなくなった。冒険的な、皮肉な言葉は使わず、言葉を1つ1つ置きに行く。そうすることによって自爆して帰宅することは免れるようになった。

だが、それでも対人恐怖症のような、人に言われることを鵜呑みにしてしまって傷付けられることに恐怖を覚え、すぐに心の扉を閉じてしまうことがクセになったのだ。

この人は私を傷つけやしないか。私はこの人を傷つけやしないか・・・。こんなに毎日「傷つく」ことばかり考えていると、浜崎あゆみのBGMがエンドレスに流れてきそう。

 

「なぜだ!」「なぜだ!」毎日のように綴る「なぜだ!ノート」。あらゆる技を思いついては使うも、自分の中ではもう無限ループ。単にトモダチを作る方法なのに、答えの出ない「なぜだ!」はこれが初めてだった。

いっそのこと、もう一度幼稚園に戻ろっか。

 

 

 

だがその自問自答も、ある日を境にとうとう面倒臭くなる。

 

 

そして強硬手段として、

私は一度、死んだことにしたんだ。

 

 

 

 

強制的に心の扉をこじ開ける。

死んだことにしたとはなにかというと、過去の自分に死んでもらうということ。傷付くこと言われてもないのにそれが「こわい」ってことは、起きてもないことをひたすらに怖がってるだけで、実際には見えもしない「おばけがこわい」といっしょ。何度「おばけなんていないんだよ~。」って言っても聞かないなら、そんな恐怖症を抱えた自分には、一度死んでいただきましょう!!

どうやって殺すのかというと、シンプルに「こわい!」という記憶を抹消する。ピクサー映画で見た『インサイドヘッド』の記憶消すところにそのダークな記憶を意図的に持っていく感じ。そう、イメージの世界でしかない。

それでも何度か過去の自分が蘇生しようと、扉を締めようと墓から片腕出してくるんですが、その度に何度も埋める。そして扉をこじ開ける。何度も、何度も、何度も。

そして、過去の自分は勝手に殺して、勝手に生まれ変わった。(つもりになった。)

 

すると、世界が変わったんだ。

 

 

 

 

 

 

そうやって心の扉を開きっぱなしでいたら、私の心はいつの間にか満たされていた。

というか、愛はいつでも私に降り注いでいたんだ。

ただ単に、私がそのことに気が付かなかっただけだったし、なおかつ、その受け取り方を知らないだけだった。

開くと同時に心の距離もつかめて、環境も人も自分も、どんどん変わった。

 

 

そしてあれから3年、気づけばあんなに最高なゴキゲンなボーイズと、ハッピーガール達に囲まれていた。

結局、当初の人生プランとは全然違う結果になってしまったけど、

こんな顔で笑えるのなら、私はもう、100点をあげたい。

というか、それ以上に、私の東京LIFEはあの頃では想像できなかったくらい、エキサイティングで、ワンダフルで、アメージングな、本当に最高の時間になったと思う。本当にしあわせでした。

「死んじまいたい!」と思うほどに辛いこともあったけど、今はあれも全部必要だったことで、全部丸めてありがとうだ。

こんなに大切なことを知ることができて、こんな幸せがその先にあるのなら、あんなドン底な鬱も、決して悪くない。

 

 

それもこれも、みんなのおかげ!

みんなみんな、さんきゅーだ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

つづく。

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