だいたい、感じてなんぼ

あらがわず、しなやかに。

お知らせ

「自分の愚行の清算に使おう!」と思い、スタートしたブログ『私の脱皮した恥ずかしい皮たち』をいつも読んでくれてありがとうございます。
ただただ干物のように世に晒すことを目的にしていたのですが、思った以上に好評で、予想以上のオイシイ皮になっています。
 
 
 
「面白い」「更新楽しみにしてる」って言ってくれる人もいますし、毎回コメントしてくれるやさしい人もいます。また、私自身書いたこと忘れてるのに、読んでくれた人の方が覚えててくれてたり。恥を晒しているだけなのに、こんなに嬉しいことはない!!
 
 
 
と、思う反面、当初の私は、私のために書いていたのに、いつしかそんな誰かの期待に応えたいとか思うようになっていったり。何も決めずに勢いで書き始めた分、環境が変わったこともあって、途中で自分がブレて何を書いたらいいのかわからなくなり、時には似たようなことも書いてしまったり、文章の神さまが降臨することが減り、書きながら胃が痛くなるという自虐っぷりも発揮していました。なんてナイーブなんだ!
 
 
 
 
みんなは、何を求めていて、私はここで何を書きたいのか。いやいや、たぶんなに一つ、求めていないと思う笑 別に書かなくなっても、すぐに忘れ去られるコンテンツなのかもしれないけど、それでも私の皮には愛を込めて書いたつもりだったから、とても大切な皮たちだったから、どうせならいい感じに晒してあげたかった。
 
 
 
映画『マラヴィータ』の中で主演のロバートデニーロが『文章を書くっていうのは、自分を映す鏡を見てるような気分だ。』っ言ってました。文章に起こして初めて、「あぁ、私はこう思ったんだ。」とか「だから、私はこうしたいんだな」とか、そんな自分の気持ちに改めて、いや、初めて気付かせられることもたくさんあります。頭の中では連結しなかった途切れ途切れの感情がどんどん集結していく。こんにちは自分の気持ち!って感じです。
 
 
 
この東京での7年という時間は、私に人生の絶頂と絶望、どちらの風景も見せてくれました。それと同時に、『生きるとは愛情の受け渡し』『どうやら愛は地球を救うらしい。』『人生良くも悪くもすべて思い通り』この3つを学ぶための時間だったように感じます。我が猪突猛進っぷりが私にさせてくれた痛々しい経験の数々は、こんなにも大きな学びをくれました。
 
 
 
だからと言って、私は今なにも持っていないんだけど。 
それがわかるまでは毎日が悔いに溢れていましたが、こんなに辛く、苦しく、恥ずかしい過去を、あの頃に戻って変えたいという気持ちが今では不思議と消えてしまいました。
 
 
 
そして、私の学んだ3つの共通点は「愛」そのものだった。
いつしか書いたかもしれないけれど、愛がなくちゃ、人は本当に生きてはいけない。そして無意識だったけど、いつも皮の着地点はいろんな形の「愛」だった。
 
 
 
ほんとに今更だけど、書いて気付いた私の書きたいこと。私はこの「愛」を軸に、今まで通り私全開のブログを書いていきます。
もしかしたら、つまんない!って思われちゃうかもしれないけど、私は自分が書きたいことを自分が好きなように書いている自分が、どうやら大好きみたい!
 
 
 
そして大好きな自分から生まれる皮は、きっと誰かの心をくすぐってくれるはず。
PCからしか見れないけど、ちょっとトップページも改造しました。
 
 
 
私がスランプに陥っている時に、そんな大切なことに気付かせてくれた、一番この皮を愛してくれていた親友に感謝。
 
 
あーちゃん、ありがとうね。
みんなも、こうやって私を育ててくれて、ありがとう。
 
 
 
 
 
 
 
これからも恥ずかしい皮をよろしく。
 
 
 
 
では!あでゅー