【恥ずかしい皮たち☆夏の出来事シリーズ②】花火だけが一瞬ってわけじゃなかった。
今年の夏は、去年とは全く違う哀愁漂うロンリーサマーになるんだろうなぁ、寂しいなぁって思ってた。立秋を迎えた8月の北海道はいま、カレンダー通り、着々と秋に向かっている。風の匂いも、葉っぱの色も、鈴虫やトンボだって、北海道の自然はいつも全力で「秋だよ!」って教えてくれる。
そんな自然からの声に「もう秋かよっ!」って嘆くような、今年の夏を後悔するような、やり残したことはたぶんありません。
花火だけが一瞬ってわけじゃなかった。
8月のはじめ、毎年楽しみにしている江戸川の花火大会だけはどうしても行きたくて、力技で東京にいきました。しかも延泊までしました。打ち上げスポットからかなり近いところに場所取りしてくれる人たちがいて、おかげさまで今年も、光を浴びるように花火を見ることができました。
でも、今年の花火はなんだか、
打ち上がる視界いっぱいの花火に、みんなの心を一瞬で惹きつける花火に、
夜空を瞬間的に彩る花火に、あの一瞬の美しさに、
涙が出そうになった。
それは、ただただ感動したんじゃなくて、
「自分がそうありたいから」だったんじゃないのかな。
自分をいつも抑え込んでしまう要らないものを、
すべてを取っ払ったものが本当の美しさなら
花火こそが、その姿だなぁって思った。
人にだって、過去も未来もなくて、いまこの瞬間だけを生きるしかないっていうのは
花火こそが、その生き方のお手本なんだなぁって思った。
花火は、腹の底にいる私に「今しかないんだよ」って教えてくれているような気がした。
あの花火を見て、私はなんだかいつもは届かない自分の深い深いところに、そんなメッセージみたいなのを感じてしまった。
私の溢れ出そうな涙は、自分の深い深いところに閉じ込めてしまっている、「ほんとうの私」の涙なのかもしれないなぁ。
夏は、大切な瞬間が、スローモーションに見える。
それは、一瞬の美しさのおかげなのかもしれないね。
花火だけが、一瞬ってわけじゃなかったんだなぁ。
というわけで、私の『太陽みたいな女になる計画』は絶賛進行中です。
夏よ、ありがとうね。