だいたい、感じてなんぼ

あらがわず、しなやかに。

なんでも手に入れちゃうあの子が、うらやましかったんだぜ③ 〜猫編〜

 

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私の周りには美しい人たちが結構いる。ありのままを生き過ぎてエネルギーが滞ることがないのか、皮膚細胞が老化することを忘れたのか、年齢不詳の美女たちは今日も休むことなく輝いている。内側からの光も相まって、直視するのが困難だ。

 

 

 

まぶしい。。

 

私はかわいいと言ってもらえることが、だんだんと減ってきて、最近多いのはせいぜい「少年」だとか、「コナン」だとか言われる。もはや女でも、3次元でもない別のフィールドの人間として扱われることが年齢を重ねることに増えていく。褒め言葉として上手に受け取っているので断じて無傷だ。

 

そんなわたしでも、「美しさ」について一時期ひどく考え込んでしまったことがある。

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小さなコミュニティでちょっと目立ってしまった者ほど、自分以上の美しさを持つ女と出会えば、いつも自分に当たっていたスポットライトが見当たらなくなって、永遠と空を仰ぎ続けることになる。

外見を追求し続けることは、いいこと。でもそれを自分の価値としてしまえばじりじりと首が締まっていることに気付いた時には、もう自分でつけた心の傷がヒリヒリと痛んでいる。

そうやって考えるきっかけとなったのも、今回のあの子が深く関係している。

 

 

 

彼女は国民的美少女級に美しい。いや、それ以上かもしれない。

そして、彼女のすべてが、犯罪級にかわいい。

「なんだこれ、かわいいぞ。」が、女の私から見ても仕草、表情、容姿、ツンデレが、とても人間とは思えないクォリティだったのでこの先、彼女のことをと呼ぶ。

彼女が持って生まれてきたのは、その美しい器(全身含め身体)だけでない。なにより「それはずるい」なことを誠にナチュラルに、素でやってしまうのだ。猫はこれまでにどれだけの男を「こんなに人を好きになったのは初めてだ!」と、震わせてきたことだろう。相手の人生史に「○○年 我が人生で絶世の美女と出会う」しっかりと名を刻んでしまう。それは相手が男女か関わらずきっと同じだろう。女の場合は「○○年 我が人生で絶世の美女と間違って同じ土俵に立ってしまう」かもしれないけど。

 

まさに私がそうだった。

 

そんな猫の「おい、それは罪だ、犯罪だ!」とつい思ってしまった、つまりは太刀打ちできない彼女の魅力にひどく嫉妬してしまった猫エピソードをご紹介しよう。

 

 

ビリオネアをも振り返らせる笑顔とそのボディ

猫はまさにモデル体型。そして整いすぎた完璧な顔立ち。もし我々が生まれる前に自分のボディを自分で選ぶことができるのなら、猫が猫のボディに乗り込もうとしているところに無理やり遭遇して、全力でタックルしたい。「それは地球人(女)にとって脅威だ!」といって、乗船を止めたい。

そのくらい美しい猫に、きっとお声が掛からない日はない。あの美しい顔で作った笑顔を向けられて「かわいい」と思わない人間などいるのだろうか。表参道を一緒に歩いていてイケメン外人にナンパされてる女を見たのは、後にも先にも猫しかいない。そしてそのイケメン外人を、さも障害物のようにサラリと避けた女を見たのも、猫だけだ。見知らぬメンズに声をかけられるのに、どれだけ慣れているのだ。そしてビップな、バブリーなパーティに猫が一緒に行こうと私を呼んでくれた時の顔ぶれも、とんでもなく豪華だった。きっと猫は、生涯その美しい乗り物を有意義に、自由に使い続けるだろう。

 

 

天天天天真真真真爛爛爛爛漫漫漫漫

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もう、無邪気。無邪気って言葉、すごいですよね。「邪気が無い」で無邪気。純心。すばらしい。の、一言。

この天真爛漫な性格は、まさに猫。この猫はその400倍くらい天真爛漫なのだ。

 

ちなみに今回の猫だけでなく、世間にたくさんたくさん存在する「猫な女」を手懐ける方法がある。「女は複雑!」と、頭を悩ませる男子も、抑えておくべきは下記のたった3つだけ。

 

1.かまってあげる。

2.甘えを受け入れてあげる。

3.放っといてほしい時には自由にさせてあげる。

 

つまり、猫を懐かせるためには、その都度、猫との距離感を決して間違えないこと。これができないヤツには決して懐かない。でも、猫の扱い方を会得すれば、興味がなくともやってるうちに、かわいくてしょうがなくなる。猫の扱い方はまさに天真爛漫さを引き出すのが上手であることのみだ。これができれば、自由にさせても必ず帰ってくる(はず)。

これだけだと、気分屋のつかみどころのない、人によっては面倒だと感じそうな女みたいに見える。ただここで猫に嫉妬してしまうのは、猫は性格がめちゃくちゃよかったのだ。友達がめちゃくちゃ多くて、仲間たちに愛される。美人は性格ブス説も性格いい説もあるが、「自分の友達と友達を引き合わせたり、紹介したりするのが好きなの」っていう本当にいい子だった。そして前回紹介したハリケーンや太陽と同様、猫は相手を元気にしてしまう。こんなにも完璧に作り込むなんて、こやつは魂まで美しいのか。たとえタックルしてボディ選びを阻止しても、きっとハートでは負けてしまう。太刀打ちできない無力さと嫉妬に、自分の小ささが浮き彫りになる。

 

くっ・・・。

 

さきほども書いたが、こんな猫を世の狼(狼とかもう表現が陳腐っぷ)放っておくわけがない。猫がメンズのハートをズガンっ!と撃ち抜く瞬間を幾度となく見てきた。それはもう見事に。

「コイツもしかして俺に気があるのか」という思わせぶりな態度も「それは彼女のスペシャルじゃなくて、ただのノーマルなんだよ。」と言ってあげる人がいないので、しばらくはそのチャームから覚めることはできない。釣り糸の返しに引っかかるように一度刺さればなかなか抜けないのだ。

 

 

何かとラッキー

私から見れば、猫は、美貌も仲間も物もなんでも手に入れているように見えた。

行きたいところにもすぐに行けてしまうし、なんせ強運の持ち主だ。だいたいのことは叶えてしまう彼女に、当時ボンビラスだった私は、ただ指をくわえてみてることしかできなかった。悩みの多い猫でも、私から見れば十分過ぎるスペックとステータスだった。

彼女と比較して不幸になることしかできない小さな自分は、どうすればいいのか。

「決して同じにはなれない、人生なんて不公平だ」と、もしかしたらこの時私は生まれて初めて、そう思ったかもしれない。

 

 

 

 

ただ考え抜いた末に、気付いた。

 

 

 

”運”は、人が運んで来てくれるもの。

そして、どんな時でも人を大切にしていたのは、猫だった。

その”運”も全部ぜーんぶ引っくるめてその人の魅力なんだって気付いた時には、嫉妬心は消えていた。

努力が目に見えなくても、猫は猫で、毎日一生懸命生きている。

あの美しさの内側には、私と同じ魂が、心が入ってる。

心と身体、持ってるものは私と同じ。

この世に不公平なんて、何一つないんだ。

 

 

 

そんなことに目を向けさせてくれた彼女に感謝したい。

 

その美しい身体を選んで来てくれて、ありがとう。

これからも変わらず自由に、素直に生き続けてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに、当時ボンビラスな時に行ったうどん屋で、天ぷらうどんが食べたくて悩んだ挙句、どうしてもお金がなくてノーマルな「ぶっかけうどん」を注文したら、ウェイターのおばさんがお盆を手から滑らせてうどんを床にぶっかけてしまいました。その後「遅れたお詫びに」といってサービスで「天ぷら盛合わせ」が出てきた時に、私はこう思った。

 

私もなかなかの強運だ、と。